北京芸術村●目次 

序章 自由芸術家の台頭
1 ケンカ少年とモダンアート
2 モダンアートの苦難の道のり
3 自由芸術家の台頭
4 自由芸術家の持つ“自由”

1章 通県芸術家村
1 地下アートの現場へ
2 商業文化に物申す
3 芸術家村を歩く
4 有問題(問題がある)

2章 芸術家村の誕生
1 第三世代の失落感
2 円名園芸術家村
3 六・四後の沈黙
4 放浪者の美術

3章 束縛者の招待
1 通県再訪
2 市場経済化という見えざる敵
3 不屈の美術評論家・栗憲庭
4 芸術の独立と儒教

4章 自由への意志
1 一九九九年のシナリオ
2 文革中の自由芸術家
3 自由を求めて

自由芸術家たちのプルフィール



 北京近郊の農村地帯に三〇歳前後のモダンアーティスト一〇〇人以上が活動する芸術家村がある。このことはあまり知られていない。
 知られていないのにはわけがある。芸術家村は中国政府から好ましくないものと見られているからだ。よって、彼らは国内で作品を発表する機会がほとんどない。中国においてアーティストとは一種の公職である。一方、芸術家村のメンバーたちのほとんどはいかなる職場、機関にも属していない。つまり、中国政府から見れば、彼らはにせのアーティストであって、アマチュアでしかないことになる。
 彼らは自らをアーティストだと名乗っているが、中国政府も庶民もそんなことは認めていないし、一部の者が海外で注目されていることを除けば、アーティストであることを保証するものは何一つとしてない。しかしながら、国家から見ればにせものでも、芸術に対して忠実であるかどうかの観点からすると、彼らの方こそが本物のアーティストなのだと言えるかもしれない。芸術をあくまで国家、党の従属物としか見ない中国において、自由な芸術活動を行うためには国家の統制の枠をはみ出すしかない。アマチュアこそがプロ、にせものこそが本物なのである。――「まえがき」より


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