第一章 真夜中の出会い
大統領は遥か彼方に/アンパとの再会/憧れの言葉に出会う/キリオル語はクレオール語/言葉に歴史あり/「テン・パセンサ」でお願い/記念すべき第一声/陽気な兵隊さん/「ノ・ピンチャ」は励ましの言葉
第二章 サハラの風舞うクリスマス
「フェスタ!」で助け合い/キリスト教徒じゃなくたって/イチノセ帰化してイチとなる/グリオはユダヤ人?/イッツ・ショータイム/若手シンガー、ゼ・マヌエル/アフリカは文化の過剰/夢あふれるリノ・コレイア競技場/サッカー語を学ぶ/言葉のタイムマシーンに乗って/新しい友人たち/ピジギティの記憶は今も……/踊るマリラ・クラブの夜/アイダのセクシーな腰つき/ハルマッタンの空は重く
第三章 実践『クレオール語文化』
スイート・ホーム「アンカル」/アルギン・ガランディとなる/我が友は文化人/ノ・ジュンバイ!/なぞなぞに苦戦/ストリアの教えは?/ちょっと学者風に/キリオル語はバージン・ランゲージ?/私の名前の本当の意味は……/日本人は妖術師/ベリー・スーパースティシャス/新しい世代の台頭/青年実業家のアジア見聞録/「ン・ミスティ・マス」と言われても……
第四章 人形の島ブバキへ
ブバキ島行き決定/ポルトガル語vsフランス語/公用語の逆説/恋愛談義/ポルトガル語は市場に入れず/民族衣装を仕立てる/いざ出発/空から見るとこの国は……/着陸前のトラブル/アフリカの観光地とは?/ブルース海岸の夕日/元旦に友好を期す/サイア・ビジャゴス/青空学校キリンティンを見る/悩める学校教育/椰子酒の取り方/郷土料理チャベン/ビジャンティは人形の村/薮に響く歌声/南のタバンカ訪問/チュル(葬式)に泣く/花のプレゼント/美味しい料理には毒が……
第五章 カシェウ――クレオールの故郷
カシェウはキリオル語の故郷/友だちの友だちは……/タクシー入門/ニュ・ジョゼ登場/うつりゆく景色/バシュダへの愛は普通/隠し子発見/ノ・テラのアミーゴとなる/兵どもが夢のあと/ニュ・メンドンサはどこに?/カンドンガに乗る/カンシュンゴの市/世界は狭い/ニュ・ジョゼ再登場
第六章 希望の明りを求めて
言葉は数えにくくて/民族語は生きている/国語と国際語/国家と民族の間/単独調査の長所と短所/乾ききった風景/語り部ミンジェル・ガランディ/図工に思う/おみやげにはガゼルを/過酷な現実/希望の明かりはそばに/ミス・ビサウにもガゼルを
第七章 クレオールな風が吹くかぎり
カフェ・ディ・トゥガ/孤独な旅人/いや、友がいる/日本から来たビサウ人?/少年のメッセージ/森とゲリラ戦争/ダウン教授の文化論/ファナドゥに行く少年/キリオル語の「明日」「明後日」/イルカに見送られ/アイダとの別れ/映画に見る言語問題/名画『モルトゥ・ネガ』/さよなら、我が家/イランに乾杯/アンパ、最後まで苦戦する/私はもどってくる?/クレオールな風にのせて
人は何を求め、異国へと旅立つのだろうか。
そこでは言葉が通じないかもしれないのに……そこには違和感を覚えさせる文化があるかもしれないのに……
いや、だからこそ人は、旅に出るのかもしれない。言葉も、文化も、そして人も、私たちは常に心のどこかで新しい出会いを待ち望んでいるのだろう。
言葉を異にする人と人が出会うとき、それでもなお、伝え合いたいと思う。身振り、手振りを使うのもいいだろう。けれども、それだけでは物足りないときもある。身振り、手振りからそのまま言葉が生まれたわけではないにしろ、言葉と言葉が出会い、触れ合うと、新しい言葉が創られることがある。
クレオールの誕生である。
今から五〇〇年以上も前、ヨーロッパの最西端に位置する国ポルトガルの船乗りたちが大西洋を南に下った。アフリカ、アジア、アメリカ、新しい世界を旧い世界にもたらした彼らこそ「グローバル化」のパイオニアである。
ポルトガル人は辿り着く先々で、クレオールを生み出した。アフリカで、アジアで、そしてひょっとしたらブラジルでも。彼らに続いたスペイン人、オランダ人、フランス人、イギリス人も世界の各地にクレオールを残した。数百年が経った今でも、生きつづけるクレオールは少なくない。
クレオールには歴史の汚点が刻印されている。奴隷制、植民地支配。けっして遠い過去ではない。腐敗した英語、崩れたポルトガル語、学び損ねのフランス語、そんな侮辱的な表現をされたこともあった。今だって、偏見は完全に消え去ったわけではない。
けれど、クレオールは今も生きている。日々の生活を支えている。神に捧げる祈りの言葉になっている。愛を伝える歌詞にもなっている。活字化され、学校の教科書に載ったクレオールだってある。
心の奥深くに根をおろした言葉は、容易には消え去らないのだ。
ポルトガルに暮らしていた頃、私はアフリカからの留学生や移民と多数知り合った。ポルトガルはかつてアフリカに五つの植民地を持っていたのだ。アンゴラ、モザンビーク、カボ・ベルデ、ギニア・ビサウ、サントメ・プリンシペ。これら五カ国のうち、アンゴラとモザンビークを除く三つの国で、ポルトガル語との接触から生まれたクレオールが話されている。
私はギニア・ビサウ出身の若者たちと特に親しくなった。ギニア・ビサウは日本人には馴染みのない、西アフリカの小さな国である。上と下から挟み打ちにするような二つの国セネガルとギニア共和国は、日本でも知られたアフリカの国名であるけれど。
ギニア・ビサウでクレオールが話されることは、すでに知っていた。それでも、仲間うちで彼らがクレオールを話すのを初めて耳にしたときは、最初の出会いに感動を憶えたものだ。それは文字から得た知識が、現実の中で生命を得た瞬間であった。
彼らの言葉を私は真剣に学びたくなった。何人かの友人に相談したところ、仕事でギニア・ビサウに行くポルトガル人にクレオールを教えているギニア・ビサウ人青年を紹介してもらえた。彼から一年近くもクレオールを教わることができた。幸運だったと思う。
クレオールの文法上のルールもひととおり理解でき、簡単な会話ができるようになった頃、私はその時が来たと思った。青年もそうすべきだと言った。
いよいよクレオールの国に行くべきだと。
彼らの言葉をもっとよく知るために。彼らの言葉が生きる姿を確かめるために。彼らの言葉の背景にある文化と接するために。なによりも彼らと触れ合うために。
そして、私は旅立つことにした。クレオールな風にのって・・・・
――「まえがき」より