司会の挨拶 加藤哲郎
開会の挨拶 ジョヴァンニ・ドミネド
〈特別記念講演〉ヘゲモニー思想と変革への道―革命の世紀を生きて 石堂清倫
[第1セッション グラムシ―この10年]
最近10年のイタリアにおけるグラムシ研究 ジュゼッペ・ヴァッカ(小原耕一訳)
北アメリカにおけるグラムシ―批判的検討評価 ジュセフ・ブッティジージ(小原耕一訳)
韓国におけるグラムシ研究の動向と課題 姜玉楚(カン・オクチョ)
グラムシ思想のアクチュアリティ 松田博
日本の左翼文化とグラムシ 片桐薫
[第2セッション グラムシとわれわれの時代]
「実践の哲学」と哲学の未来 田畑稔
グラムシ文化論のアクチュアリティ―グラムシにおける「アメリカニズム」批判についての一考察 鮫島京一
ヘゲモニーと教育をめぐる諸問題―『獄中ノート』の思想と現代日本の教育状況 黒沢惟昭
グラムシの宗教観を問う 村上信一郎
[コメント1]ポスト市民社会論のエスキス 水嶋一憲
[コメント2]グラムシ市民社会概念の形成 川上恵江
[コメント3]グラムシにおけるマルクス読み変え――「経済学批判序言」をめぐって
小原耕一
[第3セッション 現代イタリアと国際政治]
グラムシのアクチュアリティをどこに見るか―左翼の自己防衛と自己刷新 後房雄
マルクス、グラムシと協同組合思想 丸山茂樹
イタリアの植民地主義―グラムシと現在イタリア人の歴史認識 マルコ・スバラクリ(中嶋 康訳)
統合的経済、フォーディズム、ポスト・フォーディズム ボブ・ジェソップ(高橋善隆訳)
[コメント1]ラテン・アメリカの歴史研究の視座から 崎山政毅
[コメント2]グラムシと共にグラムシを超えて いいだもも
[コメント3]現代イタリア政治の特徴について G・ヴァッカ
[全体集会]
[番外編 グラムシは世界でどう読まれているか]
イタリアにおけるグラムシ研究 ジュゼッペ・ヴァッカ(小原耕一訳)
スペインにおけるグラムシ研究、この15年 フランシスコ・フェルナンデス・ブェイ(山本和彦訳)
ドイツにおけるグラムシ思想とそのアクチュアリティ アネッテ・エントマン(西角純志訳)
ロシアにおけるグラムシ(1987―1997)―その現代性 イリーナ・グリゴリエヴァ(川上恵江訳)
韓国におけるグラムシ関係文献 姜玉楚編
日本におけるグラムシ研究文献目録(1994年後半〜1997年秋) 中村勝己編
あいさつ ジルヴィオ・マルケティ
Programma del Simposio su Antonio Gramsci
あとがき
最近のわたくしのグラムシについての情報は、ほとんどインターネットという、国際的な電波のネットワークから得ています。インターネットの世界に入りますと、グラムシ研究所のホーム・ページがあります。国際グラムシ協会もニューズ・レターをインターネットのうえに公開しています。アメリカのジョン・キャメット博士は、リソーシズ・オン・アントニオ・グラムシという立派なホーム・ページをアメリカに持っておりまして、世界中からアクセスできるようになっております。そこには、一九二二年から一九六六年までに刊行された、一万三百五十三点のグラムシ関係文献の、言語別、年代別による出版刊行の統計がでています。
言語別に言いますと、イタリアが六千七十七点で五八・七パーセントを占めます。つまり六〇パーセント近くがイタリア語ですが、あとの四〇パーセントは、他の言語です。英語が千二百六点で約一二パーセント、フランス語が五百六点で五パーセント、スペイン語が四百三十点で四・一パーセント、そして日本は、ドイツとともに約四百点で、三・九パーセント、約四パーセントという風になっています。世界のランキングでいうと、日本という国は、グラムシについての著作が刊行されている五番、ないし六番ぐらいで先進国ということになります。もちろんグラムシ自身の著作が二十七ヶ国で翻訳されており、キャメット博士のホーム・ページには、三十二ヶ国語のグラムシ関係文献資料がでていますが、そのうち日本は、グラムシに関心を持ち続けているという意味では、世界の最先端とはいわないまでも、先端の方にいる国ということになります。
イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、英語圏で二十世紀に一番引用参照されたイタリア人は、ムッソリーニでも、クローチェでもなく、アントニオ・グラムシだと言っています。その統計的根拠もあるようです。英語圏では、二十世紀のイタリア人の代表がグラムシになっているということですが、日本ではどうでしょうか。日本のイタリア研究者の方にぜひ統計をとってもらいたいと思いますが、おそらくどんなに控え目に見積もってもベスト3には入るイタリア人、日本人にもっとも親しまれているイタリア人ということになるのではないかと思われます。言い換えれば、グラムシを通してイタリア文化に触れ、イタリアを識るという機会が、私たち日本人にとっても、これまでも多くあったし、今後もますますふえていくだろうと思われます。
なぜグラムシがいまだに読み継がれ、マルクス主義が衰退しているといわれる中でも生き続けているのか。
一つは、いうまでもなく、ヘゲモニーとか、歴史的ブロックとか、受動的革命とか、有機的知識人とか、陣地戦と機動戦、実践の哲学、アメリカニズムとフォーディズム等々のグラムシのオリジナルで独創的な概念が、イタリアと世界の歴史と現実、そして近代社会の二十世紀的な変化、変容を有効に解明するために用いられていることです。例えばヘゲモニーという概念、あるいは受動的革命の概念を用いて、各国の政治や社会を分析する指向が、世界的にひろがっていることであろうと思います。
もう一つは、既存の概念とか、あるいは日常語であったものを、グラムシが鋳直して、それに新しい意味を付与することによって、社会科学あるいは政治学の有意義な概念になってきているものが、多数あるのです。もともとヘゲモニーや受動的革命の概念も、グラムシ自身がイタリアの文化の中から、マキァヴェリやソレル、クローチェ等々との対決の中で鋳直した概念であるわけです。私たちは、知識人とか、常識とか、教育とか、あるいは道徳などという日常語であり普通名詞であるものを、グラムシの論理的な媒介と意味付与を経て、新しい概念として再把握することができるようになってきている。
私たちがいま、アントニオ・グラムシの残したものを私たちなりに読み換えて、鋳直し、そして豊かにしてゆくということが、おそらく大きな意味をもつようになるだろうと思います。
(シンポジウムでの、加藤哲郎氏のあいさつより再構成)