インドネシア烈々●目次 

プロローグ 第二の独立

第1章 スハルト政権の崩壊

 1――学生が牽引車 続発した反政府デモ

 2――充満する貧困層の不満 学生射殺事件が引き金に

 3――国会が学生の解放区に 国会議長が大統領に辞任要請

 4――ウィラントに非常大権 穏健改革を望んだ国軍

 5――あわや第二の天安門に 幻の一〇〇万人集会

 6――側近の離反がとどめを刺す スハルト大統領辞任

 

第2章 ハビビ政権の民主化

 1――回りからは期待されず ハビビ大統領就任

 2――自分流で行くハビビ 相次ぎ民主化、改革を断行

 3――最初の試練 与党ゴルカル党大会

 4――一気に自由化の空気 独立問題で揺れる東ティモール

 5――権威ない大統領演説 与党の威信低下

 6――強まる国軍批判 政権崩壊で旧悪露呈

第3章 ハビビ政権の危機

 1――略奪が続発 解放感で治安悪化

 2――臨時暫定政権構想 急進派学生らが画策

 3――在野指導者が初めて結束 チガンジュール宣言

 4――流血の国民協議会 ハビビ政権最大の危機

 5――治安部隊も暴徒を傍観 教会焼き打ちで宗教抗争へ

 6――豪の裏切りに激怒 東ティモールに独立容認

第4章 吹き出した地方の怒り

 1――ゲリラが続々帰国 アチェからの逆襲

 2――民族対立から宗教抗争に 調和が崩壊したアンボン

 3――独立容認で立場逆転 焦る東ティモール併合派

 4――民族憎悪が狂気の沙汰に 西カリマンタンの大暴動

第5章 総選挙への模索

 1――総選挙を支えた学生たち 混乱続きの新選挙制度

 2――問題解決に邁進 法案数はギネス級のハビビ

 3――改革派と守旧派が対立 求心力を失う与党

 4――改革派三党が共闘 与党を封じ込め

 5――政界も獅子舞に中国語 変わり始めた華人社会

第6章 平和裏に進んだ総選挙

 1――独立広場はカーニバル 選挙運動スタート

 2――集票マシンが農村で崩壊 ゴルカル党

 3――メガワティは民主主義のヒロイン 闘争民主党

 4――アミン・ライスのどぶ板選挙 国民信託党

 5――分かりにくいワヒド 国民覚醒党

 6――表に出るアチェゲリラ 総選挙を拒否

 

第7章 政党政治の時代

 1――独自集計で敗北宣言 開票が大幅に遅れ

 2――その気になったワヒド キングメーカーが大統領に意欲

 3――沈黙するメガワティ 多数派工作を批判

 4――メガを見限り第三勢力を結集 アミン・ライス

第8章 東ティモール住民投票

 1――国軍を統制できず 性急な独立プロセス

 2――大統領には楽観情報ばかり アラタスは懐疑的

 3――忍従するグスマン 投票、騒乱、釈放

 4――戒厳令ではアナンに相談 大統領は国軍のメンツに配慮

 5――ハビビの失墜 金融スキャンダルも

第9章 第四代大統領の誕生

 1――大統領に野次も 一新された国民協議会

 2――反メガで結束、ワヒドは断念

 3――あわてるメガワティ陣営 街頭行動で圧力

 4――黒ゴルカルと白ゴルカルが対立 ハビビを降ろせない野党

 5――ワヒドが出馬宣言 ハビビは断念

 6――日本の細川政権? ワヒドが大統領に

 7――一度は出馬を固辞 メガワティ副大統領

 

第10章 ワヒド政権、その後

 1――国民和解の新政権 正統性に自身のワヒド

 2――住民投票求め五〇万人 武器を取るアチェの少女

 3――思いきり戦いたい 泥沼化したマルク抗争

 4――ウィラントを政界から追放 ワヒドの成果

 5――強まるワヒド批判 苦難の道

あとがき

主要参考文献



 インドネシアの首都ジャカルタ中心部にある国民協議会議事堂は夜が深まっても祝祭的な空気に包まれていた。一九九九年十月二十一日金曜日。正面玄関に二〇〇人を超す記者、カメラマンの視線が集中する中、黒ガラスの扉が開いた。ピンク色のクバヤと呼ばれる伝統的なジャワ民族服と厚化粧でめかし込み、副大統領就任式を終えたばかりのメガワティ・スカルノプトリ副大統領と、前日に就任した御稚児さんのように不似合いなグレーのスーツを着こんだアブドゥルラフマン・ワヒド大統領が並んでゆっくりと出てきた。

 「グスドゥル(大統領の愛称)!」

 「メガ(副大統領の愛称)!」

 親しみを込め掛け声が響いた。インドネシアの新しい正副大統領が初めて並ぶ歴史的瞬間を撮ろうと、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚いた。二人はぎこちなくポーズを取って報道陣の求めに応えた。

 約一年五カ月にわたる長い権力の交代劇がようやく終わった。

 インドネシアは九八年五月、国軍や政財界を支配、三十二年にわたり事実上の独裁を維持してきたスハルト政権が崩壊した。同時にハビビ副大統領が大統領が昇格したが、スハルト大統領のもとで副大統領に指名されてハビビは国民の信託を受けていない暫定政権とみなされたからハビビ大統領就任以来、いかに民主的に、かつ平和的に政権交代を実現させるかが最重要課題となった。だから九九年十月の国民協議会(国権の最高意思決定機関)で、民主化勢力出身のワヒド大統領、メガワティ副大統領が大きな混乱もなく選出されたことはインドネシアの民主化のプロセスの中で極めて意義深いことだった。

 人口二億人、面積は日本の約五倍もある東南アジアの大国が混乱に陥れば、日本を含む東アジアの安全保障問題に発展する。日本にとっても「インドネシアの安定」は極めて重要だ。日本はインドネシアの最大の貿易相手国、最大の援助国であり、累積円借款は二一二八億円(九九年三月末)にも達する。天然ガスなどのエネルギー、水産物などの供給源でもある。進出企業も多く、日本と経済的な結びつきも強い。だから日本の新聞もインドネシア情勢を重視して連日、インドネシアのニュースを載せた。

 一方で、民衆が長年の恐怖と重圧から解放された結果、暴動や略奪、宗教抗争、独立運動が続発した。力による支配のつけが圧力釜のふたが外れた時のように吹き出した。武力併合し国際社会から非難を浴びてきた東ティモールには独立を認めることになった。

 ここで紹介するのは「スハルト帝国」の崩壊をきっかけにインドネシアという国家がどう動いたか、どのように民主化が進んできたのかについての一つのドキュメントだ。一つの独裁体制が崩壊したとき、押さえられていた民衆のエネルギーは一気に吹き出してくる。そうしたエネルギーを激しくぶつけ合いながら、妥協点を見い出し、新しい秩序を構築していく人間の営為の記録と言ってもいい。

 ハビビ政権時代に比べれば新聞紙面上で大きなニュースになることは減ったが、インドネシアは依然、苦難の道が続いている。信頼回復をかぎに誕生したワヒド政権に対する批判も強まっている。アチェではいまも国軍とゲリラの衝突が起き、マルク諸島ではイスラム教徒とキリスト教徒の戦争が続いている。

 インドネシア人の友人から送られてくる電子メールには「インドネシアは前と何も変わってません。官僚の汚職、腐敗も昔のまま」と嘆きの声がつづられている。インドネシアは依然、民主化の過渡期にある。

 では過渡期を経てインドネシアは再び安定軌道に戻せるのだろうか。私は正直分からない。実はそれどころか、統一国家を維持することが絶対に正しい、と言い切ることにも自信がない。「統一」のためにあまりに多くの人命が失われてきた。

 ただインドネシアの民主化への挑戦はインドネシアだけでなく中国などほかの他民族国家の将来も示唆する実験であると思う。二〇世紀に植民地から解放を勝ち得て次々と誕生した国民国家。民族の平等をうたいながら、多くは弱小民族に対し抑圧的だった。いまのグローバル化の時代にあって、各民族は普遍的な人権と民主主義を要求するようになると同時に、民族意識を高めている。国家国家の求心力が失われていることは共通しており、国家のあり方そのものが問われている。

 私は一九九八年九月から二〇〇〇年一月まで、共同通信社ジャカルタ支局記者としてインドネシアに駐在した。スハルト政権崩壊前の九八年三月から二度出張取材をしており、これを含めれば一年一〇カ月、ほぼスハルト政権末期からハビビ政権を経てワヒド政権の誕生までを最前線で取材する機会を得た。

 ここに書いたのはあくまで私の限られた取材に基づくドキュメントである。それでもなおインドネシア建国以来の激変期を記す一つの資料として役に立つこともあるのではないかと期待している。(塩沢英一)

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