はじめに
誰だって輝いて生きることができるんだよ――武藤啓司
楠の木学園との出会い
作文の授業をはじめる
数学も教える
不登校だった子たち
いじめられ体験
自信を培う
より開かれた学園に向けて
新しい扉をあけて――黒瀬雅左枝
はじめに
さあ、授業だ!
「グループ」のいろいろ
おわりに
音の向こうにみえるもの――牛山了子
はじめに
足もとがぐらぐら――教師の立ち直し
自分の内に耳を澄ます
相手と呼吸する
協 働
感動って何だろう?
これからの課題
子どもの持つ内なる力――美術の授業から――吉澤明子
魂を解放する
秩序を学ぶ
動きをコントロールする
手は賢い
体 のびのび 気持ち ゆったり――どんな体に育てたいのか――神田誠一郎
姿勢に注目する
体育でサーカス!?
一歩一歩の記――コミュニケーション担当の視点から――村上博
はじめに
俊二との出会い
俺は多動だから仕方がないんだ
集団の中に入る挑戦
日常的コミュニケーションの練習
その後
あとがき
学園の概要・対象生徒・交通機関
学園の教育課題・教育理念
本科の教育内容・専攻科の教育内容
体験学習・年間行事
武藤啓司
1935年、静岡県生まれ、横浜国立大卒。都内小学校教員退職後、東京都職員研究所嘱託。95年に楠の木学園講師、97年同学園長、2000年より理事長兼務。著書に『教育闘争への模索』(社会評論社)、『いのちが深く出会うとき』(共著、社会評論社)、『子どもの心と響きあう』(同)、『やさしさを学ぶということ』(御茶の水書房)、編著『巣立ちへの伴走』(社会評論社)、ほか。
黒瀬雅左枝
1972年、横浜生まれ、横浜市立大卒。95年より楠の木学園専任(英語)。
牛山了子
1962年、富山県生まれ、金沢大学卒。富山県教諭を経て、96年より楠の木学園講師(音楽・シュタイナー教育)
吉澤明子
1944年、東京都生まれ、東京芸大卒。84年〜92年、ドイツにてシュタイナー教育・芸術療法を学ぶ。93年より楠の木学園講師(美術)。
神田誠一郎
1961年、東京生まれ、東京学芸大卒。85年〜90年、ドイツにてシュタイナー学校・体育教諭取得。93年、楠の木学園講師、95年より専任(体育)。
村上博
1959年、静岡県生まれ、埼玉大卒。93年より楠の木学園専任。2000年、横浜国大大学院、アドラー心理学カウンセラー。
楠の木学園は一九九三年、「義務教育終了前後の学習障害児およびその周辺の子どもたちのために」と設立された。しかし、開園して生徒を募集すると、「不登校」だった子、知的、身体的なハンディを持つ子、サポート校やスリースクールなどからも「落ちこぼされ」てしまった子たちが応募してきた。スタッフの数が限られているから、特別な介助を必要とする子の場合以外は、ひとりで通園できるものであれば、入園は拒まないということもあって、実にさまざまな個性を持った生徒たちと出会うことになった。
彼、彼女たちは総じて、自信と意欲を奪われ、頭を垂れ、体を固くして、自分の中に閉じこもり、自分を閉ざしているという感じであった。しかし、中には「自分は多動障害で、自制がきかないんだ」と居直る子もいたりした。それぞれに医師や専門家のつけてくれた「病名」や「障害名」をもっていたが、同じ「病名」でも全く違った行動や現れ方をする場合もあり、それぞれが未知との遭遇であり、衝突と試行錯誤、そして理解の繰り返しであった。しかし、七年目を迎え、それなりに学園の伝統、雰囲気というものが形成されてきたように思われる。
「みんな元気ですね。明るいですね。」と見学に来られた方はたいがいおっしゃって下さる。以前はうつむき、体を固くしていた子たちとは思えない伸びやかさが育っている。そんな雰囲気をつくるのにスタッフの努力は大変なものだったが、しかし、それはまた、生徒たち自身に内在している力の表出にほかならなかった。
本書はスタッフの一人ひとりがこの学園で模索し、手探りしながらたどった実践の過程を率直につづり、検証しようとしたものである。生徒たちとのつき合いの忙しい中、もう一度それぞれの実践をふり返る意味も込めて、記録してみていただいた。
り物を大事にしたいと思う。
――「はじめに」より