君は教育勅語を知っているか●目次  

プロローグ

1 教育勅語のなりたち

2 教育勅語のイデオロギー、その徳目構成

3 御真影と教育勅語の時代

4 修身科を中心としたカリキュラム

5 村落・親族の教育力

6 大日本帝国憲法=教育勅語体制

7 靖国イデオロギー――死の意味づけ

8 戦争への反省と日本国憲法

9 教育基本法、義務教育って何?

10 草の根歴史改ざん運動

11 歴史教科書「自主規制」の意味するもの

資料篇

教育ニ関シテ下シ給ヘル勅語

「教育に関する勅語全文通釈」(文部省図書局)

大日本帝国憲法

陸海軍人の下し賜りたる勅諭

教育基本法

教育勅語等の排除に関する決議

教育勅語等の失効確認に関する決議




 君は教育勅語を知っているか――なんていわれると、いまごろ何でそんなことを、とか、むかしそういうものがあったのを聞いたことがあるね、とか、もう忘れてしまったよ、とか、それぞれさまざまな反応が返ってくることでしょう。しかし、最大の軍隊反乱であった二・二六事件の年(一九三六)に小学校に入学し、日中全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件や南京占領の年(三七)に小学校二年になり、ポツダム宣言を受諾して大日本帝国(戦前の日本の国名)が敗戦に追い込まれた年(一九四五)に、旧制中学校の四年(いまでいえば高校一年)になっていた私などは、自慢するつもりはぜんぜんありませんが、いまでもほとんど暗誦することができます。

 そして、いま日本の一部の保守政治家が、戦争のできる「普通の国」を目ざし、憲法調査会を国会の常設の委員会として設置し、非戦=非武装の日本国憲法の改憲策動をすすめ、あわせて、日本国憲法とワンセットのものとして戦後教育の理念を格調高く謳いあげた教育基本法の改悪をたくらんでいるのです。この教育基本法の改悪といっしょに、戦前の教育勅語を部分的にせよ、全面的にせよ、再評価しようという気運が急速にもり上ってきています。

 たしかに、戦後歴代の首相や文相は、公然と、あるいは、言外に教育勅語への郷愁を語ってきました。一九五一(昭和二十六)年には、天野文相が教育勅語的な「国民実践要領構想」を示そうとしましたが、世論の袋だたきにあってさたやみとなりました。一九六五(昭和四〇)年には、文部省の中央教育審議会が「期待される人間像」の中間報告をとりまとめ、日本国民としての自覚を高めようとしましたが、日本人大衆の関心の低さの前に棚上げ同様になってしまいました。

 ついで一九七四(昭和四九)年の五月には、ときの田中角栄首相が「五つの大切、一〇の反省」を提唱しましたが、それは経済大国の地位にのしあがった日本人の国民としての自覚をうながそうとしたものです。これが教育勅語への郷愁につながっていたのは明らかでした。しかし、この提案も田中じしんの金脈問題と、やがて暴露されたロッキード事件で頓座を余儀なくされました。

 ところが、今回は様相がいくらかちがっています。九〇年代にはいってから、かつての侵略戦争を、あたかも「自衛戦争」ないし「アジア解放の戦争」であったかに描きあげようという、戦争の価値評価を転倒させようとする動きが、民間レベル(「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議」などの大衆運動)でも、自民党など政界のレベルでも加速されているのです。そして、先に言った戦争のできる「普通の国」に日本を再編しようという言論と相まって、一九九九年の一四五国会では、「日米防衛協力に関する新ガイドライン」関連法――これは、アメリカが「周辺事態」なるものを惹き起せば、日本が自動的に戦争にまき込まれ、非常事態における地方自治体や民間団体への半強制的な協力要請ができることを保障した法律――や、通信傍受法、改正住民台帳法などの住民管理の法律に併せて、国旗・国歌法が制定されたのでした。そして、同じく一四五国会で憲法調査会法が通ったというわけです。これより改憲の動きが加速されるのといっしょに、その前に教育基本法を改悪しようということが、教育勅語の再評価問題と併せて登場させられてきたのです。

 現に、「日本は天皇を中心とする神の国」だという発言(二〇〇〇年五月一五日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年祝賀会の席上)で物議をかもした森喜朗首相は、その二〇日ほど前の四月二四日の衆院予算委員会で、教育勅語について「まじめな一つの真理というものはあったと思いますので、そういうものもすべて廃止してしまったのがよかったのかどうか」などと、あけすけに言明してみせたのでした。

 明治初期、日本の教育をどんな風に律していったらいいかを必死に模索した明治の“元勲”たちに、主観的な「まじめ」さはあったでしょう。しかし、その「まじめ」さの結果、幾多の試行錯誤の末につくられた教育勅語が、日本の教育をどこに導いていったか、いや日本をどこに導びいて行ったかにかんする評価となると、この「まじめ」さの問題とは別に考えなければなりません。

 こんな風に見てくると、教育勅語なんて知らないよ、とタカをくくってばかりはいられないものがあるようです。

 ですが、そればかりではありません。前記「新しい歴史教科書をつくる会」(会長、西尾幹二)は、二〇〇二年から使用される中学校社会科・歴史分野の教科書(歴史教科書)の検定申請書(白表紙本)を文部省に提出しました。そこでは日本の歴史を神話から説き起したり、韓国併合を「当時としては、国際関係にのっとり、合法的に行われた」としてみたり、日本帝国主義の中国侵略をオミットしたり、南京大虐殺について東京裁判でいきなりもちだされたと言ってみたり、「戦争中だから、何がしかの殺害があったとしても、ホロコーストのような種類のものではない」と言ってみたりといった具合に、きわめて右よりにシフトした記述できわだっています。そして教育勅語の全文がルビつきで提示されているのです。しかも本文では、これをつぎのように解説しています。「これは、父母への孝行や、非常時には国のために尽くす姿勢、近代国家の国民としての心得を説いた教えで、各学校で用いられ、近代日本人の背骨をなすものとなった」と、全面評価の立場を打ち出しているのです。何か私の少年時代の「記憶」がよみがえってきそうでもあります。

 こんなことをみてくると、教育勅語って、はたしてそんなものだったのか、という疑問もわいてきます。そこで、ここに教育勅語は、どういう歴史的な事情によって出されたのか、その中味はどんなものだったのか、教育勅語を中軸とした戦前の教育は、私たち日本人をどこに導いていったのか、といった一つながりの問題を検討してみないわけにはいかなくなります。いいかえれば「神の国」はどんなふうにしてつくられたのか、それは日本人大衆をどこに導いていったのか、という問題の検討でもあります。そして、戦後の一連の改革の意味、それと併せて、いまその改革の中味を逆もどりさせようという動きが顕著になっていることの意味なども検討してみないわけにはいきません。「神の国」の記憶を手繰り寄せ、それと批判的に対決して行かねばならぬと思うのです。私は、教育勅語の復活など、たとえ部分的にではあれ、許していいものかどうか、一人一人が判断するべきときにきていると思うのです。

 もし、文部省が、右の白表紙本の検定を通せば、それは文部省の右傾化度の一つのメルクマールともなりうるものでしょう。その意味で「君は教育勅語を知っているか」という問いかけを、あえて発したわけです。


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