[目次]
プロローグ
弁証法は有効性をとり戻しうるか
一 矛盾はどこにでもある
二 矛盾にもいろいろある
三 毛沢東『矛盾論』の検討
四 弁証法の根本原則
スターリン「哲学」批判と三浦つとむ――続・弁証法は有効性をとり戻しうるか
一 スターリンとブハーリン
二 「レーニン的段階」の復活
三 三浦つとむを発見する
四 中野徹三のエンゲルス批判の批判ほか
五 ロイ・ア・メドヴェージェフ――エンゲルスの「弁証法の五つの特徴」とは?
弁証法の復権 中間的なもの、偶然と必然
一 理論的思考と経験・観察
エンゲルスの二つの命題/平林浩のタカの捕食行動の観察/「臨死体験」問題の批判的検討ほか
二 中間的なものをどう見るか
三 必然性は偶然をとおしてつらぬく
マルクス主義と道徳論 否定の否定の実践
一 科学としての道徳論の不在
二 認識論・意志論・規範論
三 規範としての道徳の特殊性
四 階級道徳と諸規範の組織化
レーニン「哲学」の検討 併せていいだもも、不破哲三ほかの批判
一 『マルクス・カテゴリー事典』の「弁証法」の項目
二 『唯物論と経験批判論』の批判
「批判の自由と行動の統一」について/「物質が消滅する」とは?
/対象的真理、客観的真理とは?/絶対的真理と相対的真理の弁証法
三 レーニン『哲学ノート』の批判
レーニンにおける矛盾論の踏みはずし/エンゲルスのいわゆる「客観的弁証法」と「主観的弁証法」
/論理学・弁証法・認識論/レーニンの観念論への踏みはずし
エピローグ いま、なぜ三浦つとむか
一 なぜ、あらためて弁証法か
二 三浦つとむの言語観
言語規範と言語表現/言語表現の二重性/客体表現と主体的表現
三 いくつかの補遺
あとがき
二〇世紀は「戦争と革命の世紀」といわれた。それは同時に「革命の変質の世紀」(埴谷雄高)でもあった。このことはすでに歴史的に証明された。だが、私にいわせれば、併せてマルクス主義の変質の世紀でもあった。それは、もっとも原理的な一般理論――唯物弁証法、認識論、唯物史観――にまで及び、それがまた人類史的実践に、全体としても、個々の局面においても、大きな禍根を残した。しかも、本書全体の論述で明らかなように、その変質=原理的堕落は、レーニン、スターリン、毛沢東と、時代をくだるごとに進行してきたといっていい。
ひととき、この国の労働者・人民にとっても、“希望の星”であったソ連邦は崩壊し、ソ連共産党は解体させられた。では、変質させられた「マルクス主義」、つまり「官許マルクス主義」の方面はどうか。官許マルクス主義とは、三浦つとむの造語であるが、かつてのソ連共産党公認の、あるいは公認の枠内の「マルクス主義」ということであり、私も本書において、この用語を同様の意味で使用する。そして、その官許マルクス主義は右の事態に面して、その存立根拠・理論史的意義が批判的に検討されることなく簡単に捨て去られ、その穴埋めに怪しげな「マルクス主義」が復活させられてきている。とはいえ、このようなダルな状況では既存の官許マルクス主義の断片も、なお発言権をもとめてうごめいているのだ。(敗戦後から七〇年代までくらいとくらべ、一般の人の目にふれること甚だ少なくなっているが)。
それと、本書の副題から明らかなように、私は本書執筆にあたって、三浦つとむの仕事に或る程度依拠した。私見では、三浦は、戦後日本の左翼理論戦線のなかで、マルクス、エンゲルスの本来の弁証法を担いだほとんど唯一人の理論家であった。(もっとも、三浦の著作を聖典化するのではなく、その時代的な限定と、状況論的なオプティミズムをふくむある種の短見は、これをカッコに括り込んで、その仕事の本筋に批判的に結びつくのでなければならぬのであるが)。三浦に、なぜそれが可能だったかとなれば、彼はおのれの専門の学問――表現論・言語論――を建設する武器として、世俗の権威にとらわれることなく、マルクス、エンゲルスの本来の学説を復元させ、それに依拠し、その一般理論を個別研究のなかに活かしえた数少ない理論家の一人だったからである。
「社会主義世界体制」の崩壊から十年、たとえば本屋の店頭などからは、マルクス主義の原理的解明をした専門書は、殆どといっていいほど姿を消してしまった。ときどき少部数印刷されるマルクス主義の弁証法に関する著作も、同じにすることはあるものの、その原理的再建という観点からは、まったくといっていいほど成果をあげえていない。というより、ソ連邦・ソ連共産党が解体したというのに、旧態依然の「官許マルクス主義」の遺物を引きずっているのが現状である。だからこそ、マルクス主義者にとって、二〇世紀「マルクス主義」の原理からの検討、わけても「官許マルクス主義」における唯物弁証法理解の批判・検討は避けて通れるものではない。それは個別諸分野の学問の創造・発展のうえでも避けて通れない。そういう時期、三浦つとむの仕事がほとんど顧みられるところがないのは、一種異様な奇観であるというほかない。本書を世に問わざるえずして問うゆえんの一端も、この辺りにある。 ――まえがきより