沖縄〈経験〉について……「まえがき」にかえて
1――〈非武装国家〉化から〈民衆の安全保障〉づくりへ
1…湾岸戦争から始まった「崩壊感覚」――「自由主義史観」派の場合
2…湾岸戦争から始まった「崩壊感覚」――かつての「革命主義者」の場合
3…湾岸戦争から始まった「崩壊感覚」――「平和基本法」グループの場合
4…私(たち)の「崩壊感覚」はどこへ向かったか
5…「非武装国家化=非軍事社会化」と〈沖縄経験〉
6…〈民衆の安全保障〉へ
[資料]「民衆の安全保障」という視点――基地・軍隊・安保
2――〈占領民主主義〉の神話と現実――原爆・天皇制・「安保」・「国体」・新憲法
1…沖縄から見えてきたもの
2…〈被占領(者)意識〉の希薄――「原爆神話」
3…〈被占領(者)意識〉の希薄――象徴天皇制デモクラシー
4…「国体」は「護持」されたのか?
[資料]加藤典洋『敗戦後論』の虚妄――独善的で杜撰な図式
3――反戦運動の渦中から
1…「非武装国家」化に向けた反戦運動の多彩な交流
2…「ガイドライン関連法」成立のなかで
3…沖縄――「民衆の安全保障」へ
安保・沖縄関連日誌 1998.7〜2000.5
森・石原発言について……「あとがき」にかえて
自分の反戦運動の持続がもたらす行動領域の拡大は、各地で多様な手段で抵抗している人々との交流を必然化した。その動きの中で、私は小さなグループで、しかし、したたかに闘い続けている人々運動の中に「国家の非武装化=社会の非軍事化」という原理が生きていることが実感できた。国家の暴力(軍隊)や「国連」(国家の連合)の暴力の「正義」にこそ立ち向かおうという少数派の運動の中には、かつて国家に侵略戦争に動員されることでうみだされた、様々な被害の記憶――直接に自分の体験でなくとも――が生き続けていた。戦争被害あるいは戦後の基地被害の体験(あるいは、それの継承)をバネに、日本の戦争協力、あるいは派兵国家化に反対する運動はつくりだされていたのである。
こうした私の反戦の運動のプロセスのなかで、一九九五年の三人のアメリカ海兵隊員による少女レイプへの抗議を契機に大きく始まった沖縄反基地運動との出会いは決定的であった。すさまじい数のレイプの被害だけでなく、米軍による大量事故。それは飛行機が落ちるというようなものだけでなく、日常化されている米兵による交通事故(補償すらなかった)被害であり、さらには、基地に使用するための土地とりあげ、こうしたことの歴史の蓄積が存在していた。さらにその背後には全住民をまきこみ、すさまじい数の軍人でなう住民の被害者をも出した、沖縄戦の体験があった。住民たちは日本兵によっても殺傷されたのである。
〈軍隊(基地)は民衆(住民)を守らない、武器によって平和はつくられない〉。
多くの沖縄の人々が戦前(中)戦後の沖縄の体験を通して、そう実感している。この間の、沖縄の反基地・反安保運動への連帯を目指す行動を媒介に、私たちは、この〈沖縄経験〉と直面しつづけることとなった。そして、この〈経験〉からくるメッセージは、私(たち)の胸にストンと落ちたのである。湾岸反戦運動を通して、私(たち)は「非武装国家」という原理を行動のベースに自覚的に据えだしたわけであるが、考えてみれば、この事によって〈沖縄経験〉をそれなりにキチンと受けとめることが私(たち)に可能になったのである。
軍人は、日常的に殺傷の訓練をしており、彼らは戦場に出て行けば、本当に殺傷をして生き残るしかない人間なのである。米兵が少女レイプのような、むごたらしい事件をいくつもおこし続けるのも、そういう彼らの人間味のない日常があるからなのだ。軍隊という集団には、いつもついてまわることなのである。「基地・軍隊」そのものの存在を拒否するという反戦・平和思想は、そういう体験と認識によって支えられているのだ。
私たちの〈民衆の安代保障〉も、この〈沖縄経験〉をくぐらせることで、より豊かな思想も行動につくりあげていかなければならない。
今、私(たち)は沖縄サミットに対抗する「『民衆の安全保障』国際フォーラム」の沖縄での実現に向けて、様々に動き出している。
今、「先進国」の首脳が交流する沖縄サミット(正式には九州・沖縄サミット)に対抗して、私たちは他の対抗を試みようとしている諸グループと協力して準備している「〈民衆の安全保障〉沖縄国際フォーラム」で目指されている〈民衆の安全保障〉は、こうした「国家=人間の安全保障」経済の軍事の(グローバル化・そして歴史の記憶の改竄)と正面から対峙しようとするものだ。それは国家(軍隊)は民衆を守らないという〈沖縄経験〉の掘りおこしをベースにすえた、民衆の、いや国境を越えた民衆(相互)による民衆(相互)のための安全保障である。
〈沖縄経験〉を沖縄固有の歴史(時間)と空間にとじこめずに、自分たちの〈経験〉を媒介にそれを共有していく私たちの努力のベースに、〈民衆の安全保障〉づくりは据えられだしているのである。
戦争のできる国づくりに抗する、「非武装国家化=非軍事社会化」原理の具体化のプロセスに、〈民衆の安全保障〉づくりという運動(思想)がうみだされつつあるのだ。 ――本文より