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樺太・シベリアに生きる
[戦後60年の証言]
小川■(山偏に央)一(日本サハリン同胞交流協会事務局長)
Living in Sakhalin, Siberia.
Written by Yoichi Ogawa
敗戦から60年、サハリン(樺太)に放置された日本人や大陸に連行・抑留された人びとの苦難の歴史が刻みこまれている。この事実は日本の戦後の教科書には載っていない。日本政府の政策の貧困のなか、サハリンからの帰国を支援する運動に携わる人びとによる「戦争と日本人」の記録。

8月4日

46判★256頁★1800円+税
ISBN4-7845-1315-9

まえがき 
プロローグ 八月十五日は〈終戦〉ではなかった
射殺、連行、獄死も
残留ではなく放置です
拉致を放置も同根 

【戦後60年を語る】樺太に生きて
白旗立てても民衆を爆撃
農業技師から裁断師へ
機関車の事故で八年の刑
無国籍だから特典もなし
敷香が真っ赤に燃えている
金時計は食べちゃった
NHKの「尋ね人」で
七五年に社会党の墓参団が来た
一九九○年、歴史的な第一次帰国
布団をかぶってラジオを聞く
木の枝も魚も国有財産だ
日本人がこんなにいるとわかったのは……
親同士が親戚になる「サドン」というつながり
二世、三世に援助を
あらためて想うこと 須田百合子

帰国運動の足跡
サハリンからの手紙に応える
「敵性国人」の帰国手続
「日本人はいない」「もしいたら自己意志だ」
帰国嘆願者の名簿あり
日本で再婚した夫、父と会う
遅すぎた「ふるさと」、日本の土を踏み倒れる
八十歳代の永住帰国相次ぐ
さまざまな同胞、喜美内に収容
サハリン航路ついに開く
帰国運動を後押しした国会の論議
帰国手続きでは改善進む
調査の行動は歯がゆさのみ

【戦後60年を語る】シベリアに生きて
自動車事故で逮捕され、シベリアへ
北海道占領を防いだ抗戦
民間人とは信頼関係
事故を防いだのに連行
五十日間歩いて指定地へ
迷いこんだ手紙が縁となる
泥棒がいても、畑がないと生きられない
日本人女性に驚き、箸に泣く

 

苦難の同胞と共に
離別六○年「パパそっくり」に涙
探しあてても親子と認めず
満蒙義勇軍の二少年
日本の首相は嘆願書も無視
ロシア国籍拒否の日本男児
姉妹がいて、戸籍もあるのに
死ぬまで待つやり方、痛恨
初めてシベリアの父を知る
祖国を見ず異国の土に
狼のパスポート
重労働・飢餓の中で
スパイになれば帰国させる

あとがき

小川■(山偏に央)一(おがわ よういち)

1931年10月 樺太大泊町谷町(現サハリン州コルサコフ市)で出生。小学校時代に北海道小樽市に転居。旧制小樽市立中学から学制改革で小樽高校(現潮陵高校)編入,卒業。
1950年4月 衆議院速記者養成所に入所,51年9月に一級速記士となり日本経済新聞社に入社。その後57年3月に中央大学法学部卒業。
1959年5月 日経新聞労組書記長として専従。61年から7期新聞労連書記長。著書に『賃金差別』(民衆社),『賃金・身分差別是正のたたかい』(労働旬報社)。
1968年6月 日本経済新聞社に復職。
1989年12月 「樺太(サハリン)同胞一時帰国促進の会」創設,事務局長。旧ソ連に残されたままの同胞の帰国運動を開始。91年7月「外務大臣表彰」を受ける。
1991年10月 日本経済新聞社を退職。
1992年12月 促進の会を「日本サハリン同胞交流協会」に改組し,事務局長。同胞の一時帰国,永住帰国活発化。
1999年6月 協会の「特定非営利活動法人」(NPO法人)資格取得に伴い,政府からの委託費で事業を進めることとなる。
2005年12月 運動を開始して満16年。


書評


●[東京新聞2005年10月9日]

樺太やシベリアに残され、現在もそこで生きる日本人たちにとって日本の戦後六十年とは何であったのかが問いかけられる。編著者は彼らの帰国支援運動を支えてきた日本サハリン同胞交流協会事務局長。自らも樺太生まれで小学生のとき小樽に転居、高校卒業まで生活した。


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●開設 1998年12月31日
 ●最終更新日 2005年 8月 4日