みちのくの旅へ、読者をお連れします 「みちのくの民」の遺産に再び光をあてたい。
消えかかる人びとの暮らし、姿がある。マタギ、職人、秋田杉、出稼ぎ、開拓農民の
歴史。東北・秋田を中心に聞き書きを行う、聞き人・野添憲治の著作集全6巻を刊行。
各巻には書き下ろしの解題を収録。

セレクション刊行にあたって

わたしたちが持っているみちのくの歴史書の多くは、中央の権力に従わぬ化外の民が住み、遅れた文化さえ持たぬ貧しく凶暴な人びとのいる地域だと東北を描いている。自然は厳しく、ベーリング海から南下してくる親潮は豊かな魚介類を恵むものの、数多くの冷害凶作をもたらし、餓死した人びとの屍を累累と重み上げてきた。シベリアから日本海を渡ってくる冬の季節風は、短距離選手のようにいつでもダッシュできるような姿勢をとる生き方を許さぬほどに厳しい。

だが、過酷な自然はその懐に、豊かな資源の宝庫を持っていた。山にはブナや天然秋田杉が茂り、熊や羚羊のすむ楽園であった。清流には魚群の鱗がきらめき、地下には鉱脈を内蔵していた。海に生きた人は遠く大陸までも往復し、天然の木材を倒しては器をつくる木地師が活躍し、山岳や谷川の鳥獣を追ってマタギは暮しをたて、独自な文化を育ててきた。

亀ヶ丘土器に見られるみごとな造型美と力強さを土台に、晩期縄文の時代には北奥羽が列島の中心になる。それは厳しい自然の中で、嵐や飢餓に襲われながら、倒れてもまた起き上がる不屈な魂が生み出したものだ。だが歴史時代に入ると、みちのくの富を奪おうと、侵略者が執拗に襲いはじめた。先住者たちは侵略者と血みどろになって闘いながらも、みちのく独自の生産手段や文化を生み育て、楽天的で、しかも我慢強く生きる術を身につけた。自然の恐怖に脅かされ、また居住条件の苦しさを克服し、侵略者との闘争が長ければ長いほど、みちのくの人びとの血の中に流れる光り輝く力強さを濃くしてきた。

いま、みちのくの現状はどうだろうか。敗戦後の高度経済成長はみちのくの後継者たちを中央に奪い、働かせ潰すことで達成した。そして東北はいま、日本一の高齢化社会になり、活気にあふれていた集落は次々と姿を消し、手入れのしない山林は荒れ、畑や田んぼは草地化・雑木林化してきた。みちのくの力や心を脈脈と伝えていく人々の姿が消え、受け継がれないまま白骨となり、野ざらしの状態だ。長い過酷な嵐の中でも生き抜いてきた、彼ら「みちのくの歴史を書くとともに、みちのくの地で新しく創造していく根を探しあてるために―。


野添憲治(のぞえ・けんじ)

1935 年秋田県藤琴村(現・藤里町)に生まれる。新制中学を卒業後、山林や土木の出稼ぎを7年、国有林の作業員を8年の後、能代市に転住。大館職業訓練所(自動車整備科)を修了後、木材業界紙記者、秋田放送ラジオキャスター、秋田経済大学講師(非常勤)などを経て、著述活動に入る。
著書に『出稼ぎ 少年伐採夫の記録』(三省堂新書)、『開拓農民の記録』(NHKブックス)、『花岡事件の人たち』(社会思想社・現代教養文庫)、『秋田杉を運んだ人たち』(お茶の水書房)、『花岡事件と中国人』(三一書房)、『秋田県における朝鮮人強制連行』(社会評論社)ほか多数。中国語に翻訳され、中国で3冊が出版されている。




第1巻 マタギを生業にした人たち
民俗学の宝庫・秋田県阿仁町に仮住まいをかまえ、次第にうちとけながらの聞き書き、自然観察を通し、マタギを生業とした人びとの姿を紹介する。熊と雪に囲まれた生き方を、優しい筆致でゆっくりと描き、過疎地帯の現状を報告する。
(原書●同友館、九五年)
★ 06 年7月 ◎定価2,300 円+ 税 256 頁

第2巻 みちのく職人衆
ものをつくることは、人の心をつくること。東北の名人とよばれる一二人の職人たちが、厳しい修業時代をふり返り現代人に問いかける。宮腰喜久治氏の表情豊かなイラストも楽しい。同時収録に、大正期に起きた密造酒冤罪事件の聞き書き。
(原書●小峰書店、九二年。たいまつ社、七六年)
★ 06 年8月 ◎定価2,500 円+ 税 288 頁

第3巻 秋田杉を運んだ人たち
豊富な天然秋田杉は米代川をイカダで下り、秋田県能代市東洋一の木都を誇った。時移り原木は減少し、山子の仕事は鋸と鉞からチェンソーへと変る。本書は機械化される前の作業工程を当事者達の口述をもとに詳細に再現した日本林業の技術・労働史。
(原書●御茶の水書房、九一年)
★ 06 年9月 ◎定価2,800 円+ 税 336 頁

第4巻 出稼ぎ 少年伐採夫の記録
「もう出稼ぎはやめるぞ」そう叫んで、彼は訣別と復讐を誓った。戦後まもなく一七歳の少年は、父とともに伐採夫として北海道をはじめ全国各地を渡り歩く。その六年間、彼が見、体験したものは何か。人間扱いを拒否された「山の生活」とは。
(原書●三省堂、六八年。社会思想社、九四年)

★ 06 年10月 ◎定価2,300 円+ 税 256 頁

第5巻 塩っぱい河をわたる ある開拓農民の記録
広い土地で百姓がしたい!貧農家に生まれた由五郎は、満蒙、国内、そして南米パラグアイでの開拓と、一生を過酷な開拓に挑み続けたひとりの生涯を、綿密な聞き書きと著者の記憶とで蘇らせ、昭和開拓史に光を当てる。
(第四十二回産経児童出版文化賞受賞作。原書●福音館書店、九四年)
★ 06 年11月 ◎定価2,300 円+ 税 256 頁

第6巻 大地に挑む東北農民
近代以降の開拓行政は、その時代の政策破綻や社会混乱を開拓政策の中につつみ隠した。著者は「開拓」の歴史を丹念に辿り、全国五〇余の開拓地を探訪、労苦と格闘した農民たちの足跡を追った。NHKテレビ・ドキュメント番組の成果から生まれた労作。(原書●日本放送協会、七六年社会思想社、九六年)
★ 06 年12月 ◎定価2,500 円+ 税 272 頁

★各巻、オリジナル月報付き
 
野添さんと作品についてのエッセイをご寄稿いただきます。(五十音順)
  
赤坂憲雄、宇江敏勝、鵜飼清、大出俊幸、谷川健一、天野正子、西成辰雄、野村純一、森崎和江、安田武、米田綱路

聞き書きの作法をめぐって

赤坂憲雄
東北芸術工科大学教授、福島県立博物館館長
 
わたしは野添憲治という人を、とても深いところで信頼している。お会いしたことは何度かあるが、きちんとお話を伺ったのは一度きりだ。たしか、二〇〇〇年の夏のことである。『別冊東北学』の創刊号で対談をお願いしたのだった。久し振りに、「わが「聞き書き」四〇年」と題された、その対談に眼を通してみて、わたしは思い切り落ち込んだ。恥ずかしげもなく、何ともえらそうな講釈を、野添さん相手にしゃべっているではないか。わかった振りが浅ましい。何を背伸びしているのだ。これはいかん、対談のやり直しだ。
 
とはいえ、今度は聞き手に徹することにしよう。じつに含蓄の深い言葉が並んでいる。あらためて、野添さんの聞き書き論に耳を傾けてみたい、と思う。そのあとに、いまのわたしの呟きの言葉を書き留めておく。

―ぼくの場合、聞き書きをやるときは同じ相手のところに最低三回は通うんですよ。(わたしはほとんどの場合、訪ねるのは一度だけだ。やましい気分に見舞われたのか、聞き流してしまった。なぜ、同じ相手のもとへ三回通うのか。その意味するところを知りたい。そこに、大切な秘密が隠されているはずなのに、わかった振りがうらめしい)

―相手の話を聞いていて「あ、分かった!そうだったのか」とぱっと理解できた瞬間がたまりませんね。(これは少しだけ、わかる。そんな心地よい体験を何度かしたことがある。足先が地面に触れて、下降から上昇に転じてゆく瞬間、といったところか)

―聞きたいことばっかり聞き出すんじゃなくて、無駄話もちゃんと聞かないとだめなんですよ。余分をどれくらいため込めるか、聞いた量の中からどれくらい書けるのかが問題なんです。書き残したものが多ければ多いほど、いいものが書ける。(そうなのだろう、と思う。無駄話までたっぷり聞くことができたときには、ふくらみのある描写が可能になる。そうでないときには、不確かなところで迂回したり、さりげなくぼかした表現を探すことになる。当然ながら、うすっぺらな聞き書きに成り果てる)      

※月報より

挿画・宮腰喜久治

社会評論社

Tel.03-3814-3861 Fax.03-3818-2808
東京都文京区本郷2-3-10御茶ノ水ビル


書評
●[救援ニュース2007年6月]

今秋には同じく社会評論社から、花岡事件関連だけの著作4点が出るそうで。野添さんにとって事件は、軍国少年だった加害体験を胸の痛みとして、人生の礎石の一つなんですね。

●[自然と人間 2007年2月]

本書は全国50あまりの戦後開拓地を訪ね、現実のひずみに耐え生きた農民たちの足跡をみる。また明治から昭和後期までつづいた開拓行政をまとめた一冊。

●[赤旗2007年3/19]

「戦前から出稼ぎの村でした。中学を卒業した秋から、父について、北海道、長野、奈良などに出稼ぎに行きました。学校にろくに行っていなかったけれど、かつて鉱脈を探す仕事(山師)だった祖父が新聞をとっていてね。小さいころから、振り仮名のふった漢字を拾い読みしていたおかげで、読み書きができるようになっていました。祖母から聞く昔語りが好きな少年でした」
聞き書きを業とする素地がみえかくれします。
敗戦の年に小学校五年生だった野添さんは、後に大きくかかわることになる出来事に遭遇します。秋田県北の花岡鉱山(花岡村、現・大館市)から、強制連行され働かされていた中国人労働者が蜂起し残酷に鎮圧されます。

●[北鹿新聞2007年3/5] 評者 磐城葦彦

私は、この出版記念会の案内を図書出版の社会評論社から頂いたとき、なんのためらいもなくすぐ出席との返事を出した。
野添さんとは、二十代の若かりし頃に、私がまだ小坂の鉱山長屋に住んでいたときに初めて会ったのか、あるいはサークル活動の「山脈の会」で会ったのか、いまとなっては初体面の記憶はさだかでないものの、青春期にときを同じくしてものを書いてから知り合ったことだけは間違いない。あの頃の私はまだ小坂鉱山労働組合のかけだしの専従役員であったが、組合運動に専念する者としては煙害争議で名高い細古越部落とのかかわりもあり、労農運動の先覚者の可児義雄の碑が細越にあることから野添さんと一緒にテープレコーダーをかついで部落の知人を訪ね歩いて聞き取りをした日々が思い出されてならなかった。
あれから、小坂在住の時代にはよく会うこともあったが、上京してからはなかなか会う機会も少なくなってしまった。それでも最近は「朝鮮人強制連行真相調査団」の会や会報への原稿などの送付と併せて手紙のやりとりをしているので、会えない分を埋め合わせてしているような感じだが、出版記念会は絶好の再開の場となった。

●[西日本新聞2006年12/24]

果敢に未来を切り開きながらも運命にほんろうされ続けた夫婦の生涯を描く。

●[北海道新聞2006年12/17]

果敢に未来を切り開きながらも運命に翻弄され続けた夫婦の生涯を描く。

●[北鹿新聞2006年11/23]

聞き書き手の相手方は「もうほとんどの人がこの世にいない」。技能自体がなくなってしまったケースもあり、今となっては貴重な証言。

●[北鹿新聞2006年12/4]

へき地の山村で育った著者は、中学校卒業後、北海道、岩手、長野、奈良、福島と全国各地の森林で出稼ぎを体験。厳しい重労働、しばしば死者も出る危険な作業、賃金不払いや雇用者側の横暴、仕事のやり方や気性の違いなどを背景とした出稼ぎ者同士(秋田衆と富山衆、秋田衆と福島衆)の争い、事故で生命の危機にさらされた少年への冷酷な対応など、過酷な現実を目の当たりにする。

●[東京新聞2006年11/5]

著者は東北を拠点に、近代日本の底辺を支えた人々のルポや暮らしを記録し続けてきた。本書は、戦後間もないころ、父親とともに伐採夫として北海道や長野の山林に出稼ぎした体験の記述。

●[秋田木材通信]

山林労働は危険が大きいだけにその防止のため、また風土に適合するよう、長年にわたり工夫が積み重ねられ、独自の技術に昇華していた。しかし、肉体労働の消滅とともにこれらも消えてしまっている。消えている部分を記録に残すために、機械化作業が一般的となる以前の労働者から聞き取りをして、系列的にまとめたのが本書。いわば、労働者の語った林業労働史である。

●[北羽新報10月21日]

新制中学校を出て、全国の山々で働いた伐採夫の生活8年、少年期から青年期へ多感の時代を描いた瑞々しい作品は知識人の胸を突いた。彼の目は常に底辺の人たちに向けられ、マタギや職人、出稼ぎ者、開拓民、海外移民などの群像ルポに取り組んだ。そしで行き着いたのが、「花岡事件」に象徴される、戦時下の中国人強制労働者たちの過酷な労働・虐待−その調査と告発だ。

●[森林組合No.435]

豊富な天然秋田杉は川をイカダで下り、秋田市は東洋一の木都を誇った。時移り原木は減少し、山子の仕事は鋸と鉞からチェーンソーへと変わる。機械化される前の作業工程を当事者達の口述をもとに、詳細に再現した日本林業の技術・労働史。

●[出版ニュース2006年10月号]

「猫ノ沢事件」とは密造酒摘発の税吏を農民多数が襲ったとされる大正期の事件で、ここでは自分の作った米で酒をつくる自由を守るためにさまざまな知恵と行動でたたかった農民たちの姿が活写されている。

●[新社会2006年10月17日]

『出稼ぎ 少年伐採夫の記録』。その月報にも書いたが、そのなかの次の一場面は強烈な読書体験として、いまも私の記憶に鮮明である。1935年生まれの野添は、17歳の時、出稼ぎに行った。その飯場で、マサカリとナタがとびかうようなすさまじいケンカに怯えながら、憲治少年は堀辰雄の『風たちぬ』(新潮文庫)を読む。飯場は北海道常呂(ところ)郡、置戸(おけど)町にあった。

●[北鹿2006年10月6日]

山村の独特の食文化、農家の間取り、薬行商といった生業、農地、家屋。さらには後継者や住民そのものまでが次第に失われていく過疎化の進行を、淡々と、時にユーモアもまじえて報告。

●[中国新聞2006年8月23日]

野添氏は自らも国有林で働き、四十年余り、マタギ、職人、出稼ぎ、開拓農民などの聞き書きを続けてきた人。「高度経済成長はみちのくの後継者たちを中央に奪い、働かせ潰すことで達成した」と嘆き、「みちのくの歴史を書くとともに、みちのくの地で新しく創造していく根を探しあてるために」と刊行への決意を述べている。

●[秋田魁新報2006年8月17日]

今の時代、自分の名を書けない人はほとんどいないだろうが、たとえ読み書きができたとしても無心に屋根をふいて、その出来具合を喜べる人もまた少なかろう−と野添さんは記す。実態の見えないマネーゲームが隆盛の今、あらためて生きるとは、働くとは何かを問われた気がする。


●[北海道新聞2006年8月13日]

秋田県の「マタギの里」に、著者は家を借りて長期滞在し、四季折々の山の厳しさと自然の恵み、関係者へのインタビューなどをまとめた。かつてはマタギたちは、遠くは信州や奈良の山まで猟に出かけたといい、クマの肝や薬草から家伝薬を作り行商もしていた。


●[図書新聞2006年8月19日]

野添氏自身、父とともに働きに出た出稼ぎ先の長野県で、地元の人たちから職人衆とよばれたことがあった。
鋸や鉞など、道具一つで木材の伐採や運搬をこなした職人たちの世界は、一七歳の冬から二三歳にかけて、木材伐採夫として出稼ぎに出た、彼みずからが身を置いた場所だった。
そうした経験は、野添氏の聞き書きと、その方向性を決定づけたように思える。出発点には、出稼ぎ先の北海道の山中で、「おれは、もう出稼ぎをやめるぞ!」と叫んだ、二三歳の彼の決意があった。足元を見るような不当な賃下げを受けた悔しさや、人間を軽んじる労働現場で受けた屈辱が、バネとなった。その現実を記録せねばならない。―その初志は彼を衝き動かし、記録への意思は聞き書きの原動力となった。
怒りはときに、国家や行政、企業によって隠蔽される記録に対して、聞き書きのもつ表現力を頼りに、資料の消された現場を掘り起こす、記録への意志ともなった。出会った人間たちの姿と、彼らのことばやふるまいを見きわめ、それをえがく野添氏の筆致は聞き書きにも一貫している。彼の記録には、語り手のもつ魅力と、来し方を語るその人間の喜怒哀楽を表現する聞き書きとが重なって、”民の語り”に厚みを与えている。

●[毎日新聞2006年8月15日]

作家、野添憲治さんの著書を再編集したシリーズ「みちのく・民の語り」(全6巻、社会評論社)の刊行が始まった。野添さんは、秋田県の人々の暮らしや、消えつつある伝統・風習について地元住民への聞き書きを続けていることで知られる。


●[朝日新聞2006年7月30日]

東北で自然とともに生きる人々の聞き書きを続ける作家野添憲治氏の文集『みちのく・民の語り』全6巻(社会評論社)の刊行が始まった。「聞き書きをやるときは同じ相手のところに最低三回は通うんですよ」という野添氏の言葉を引く赤坂憲雄・東北芸術工科大学教授らのエッセーからなる月報つき。


●[出版ニュース8月号]

〈ぼくの場合、聞き書きをやるときは同じ相手のところに最低三回は通うんですよ〉〈聞きたいことばっかり聞き出すんじゃなくて、無駄話もちゃんと聞かないとだめんですよ。余分をどれくらいため込めるか、聞いた量の中からどれくらい書けるのかが問題なんです。書き残したものが多ければ多いほど、いいものが書ける。

●[秋田さきがけ2006年7月29日]

能代市の著述業・野添憲治さんが、これまで出版した著作物の中から東北の歴史民俗をテーマにしたものを選んでシリーズ化した「みちのく 民の語り」の刊行をスタートさせた。一二月までに全六巻が出版される。


●[毎日新聞秋田版2006年7月27日]

野添さんは「過疎化で山村が弱り、病んでいる。山村に住む人の思いをもっと知ってほしい」と訴える。

●[北羽新報2006年7月25日]

旧阿仁町根子集落に第二の居を構え、実際に住むことによって得た人々との交流、自然との触れ合いの体験を記した「民俗学の宝庫・阿仁」、阿仁や藤里町金沢のマタギらに狩りの様子や独特の習俗のことなどを聞いた「マタギを生業」にした人たち」を収録している。

●[聖教新聞2006年7月19日]

わたしは20代の終わりごろから、日本の農村や漁村を歩いて、庶民の暮らしを聞き書きで記録することを続けてきた。その職業は開拓農民、出稼ぎ者、職人など、多様な分野に及んでいる。毎日のように早朝から深夜まで、汗を流して働く人たちの願い事や絶望の深さを知るには、その人たちに書いてもらうのがいちばんいいのだが、それは非常に難しい。
わたし自身も出稼ぎや林業労働者として十数年間、汗を水のように流して働いた経験を持っているのでよくわかる。そのため、自分で自分を表現することが難しい人たちの代わりに、わたしは聞き書きをして生活や技術を残したり、伝える作業をしてきた。「代わりに書いてあげるのだ」という傲慢な考えを持たないように注意しながら−。