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著作集・叢書 【野添憲治著作集[第II期]シリーズ・花岡事件の人たち】
1945年6月末に秋田県花岡鉱山で起きた中国人強制連行者による蜂起事件。30年余りの聞き書き取材を集大成。:概説・日本の中国侵略と花岡事件/花岡事件の人たち /花岡事件を見た二〇人の証言(前編)(2007・12)
【目次】
●概説・日本の中国侵略と花岡事件
花岡鉱山の発展
時代背景
労工狩りと収容所
連行過程
強制労働の実状
さらなる連行の犠牲者
花岡事件起こる
敗戦後の過程
大館市での慰霊式と鹿島建設への公開書簡
「和解」の認識
近年の動向
●版画 「秋田物語」ノート(1)
●第一部 花岡事件の人たち
はじめに
中国人強制連行とは
中国から花岡鉱山へ
過酷な労働の中で
蜂起する中国人
戦後の日本で生きる
花岡事件から引き継ぐもの
付記・
付記・
●第二部 花岡事件を見た二〇人の証言(前編)
付記 証言集について
・ンゴーラ! 鹿島組の通訳として 津志田均の証言
・ウジと栄養失調の中で 中国人の看護にあたる 内藤イトの証言
・クーニャンをよこせ 救護班として花岡へ 立山正子の証言
・アメリカの事件調査 進駐軍先遣隊渉外係として 岩井幸一の証言
・帰国できなかった陳さん 中国人を看護した日赤生徒 大友冨美の証言
・花岡鉱山の中国人を診察 医師として 高橋実の証言
・中山寮の事務員 ダムの底に沈んだ中山寮 越後谷義男の証言
・裸足で働かされた中国人 なんであんなに中国人を叩くのか 小山内キミの証言
・サイレンが鳴り半鐘が叩かれる 忘れらないその夜のこと 成田アグリの証言
・ごまかしの食料 鹿島組の事務員として 石川サダの証言
・第一集あとがき
・【花岡事件 関連年表】
・索引
野添憲治
1935年秋田県藤琴村(現・藤里町)に生まれる。新制中学を卒業後、山林や土木の出稼ぎを7年、国有林の作業員を8年の後、能代市に転住。大館 職業訓練所(自動車整備科)を修了後、木材業界紙記者、秋田放送ラジオキャスター、秋田経済法科大学講師(非常勤)などを経て、著述活動に入る。
著書に『出稼ぎ 少年伐採夫の記録』(三省堂新書)、『開拓農民の記録』(NHKブックス)、『花岡事件の人たち』(社会思想社・現代教養文 庫)、『秋田杉を運んだ人たち』(御茶の水書房)、『花岡事件と中国人』(三一書房)、『秋田県における朝鮮人強制連行』(社会評論社)ほか多数。中国語 に翻訳され、中国で3冊が出版されている。『塩っぱい河をわたる』(福音館書店)で第42回産経児童出版文化賞を受賞。 第Ⅰ期著作集「みちのく・民の語り」(全6巻、社会評論社)がある。
[朝日新聞 2008/6/10]
戦前日本の東北地方がかかわった「暗部」に、視線が集まっている。鉱山や建設現場での中国人ら外国人に対する強制労働の実態調査が続く一方、過酷な労働や闘争を描いた小林多喜二の小説が現代の若者の共感を呼んでいる。調査や研究をしている人たちは「語り継ぎ、次の世代に知ってもらうことの大切さ」を訴えている。
[日本と中国 2008/6/5]
戦争末期、日本政府は約4万人の中国人を日本に強制連行した。花岡ではその内986人を使役した。食事はにぎりこぶしほどの大きさの、木の皮が混じったような饅頭がひとつずつ。
住居環境もひどかった。強制連行された人たちの過酷な暮らしぶりが随所にうかがえる。非人道的なひどい扱いを読むと、まだ戦争責任に決着がついていないことを考えさせられる。
[朝鮮新報 2008/5/9]
野添憲治さんの著作集刊行完結記念シンポ
本紙に朝鮮人強制連行の実態を告発する「遺骨は叫ぶ」を執筆中の作家・野添憲治さんの著作集「シリーズ花岡事件の人たち―中国人強制連行の記録」(全4巻、社会評論社)の刊行完結を記念するシンポ「大東亜戦争から何を学ぶか」が4月19日、東京・千代田区の明治大学駿河台キャンパスで開かれ、役150人が参加した。
著作集は「花岡事件」(75年)など著書6冊と資料を基に構成。昨年12月から今月にかけて「強制連行」「放棄前後」「花岡鉱山」「戦争責任」の順で刊行された。
[東京新聞 2008/5/9]
著者は四十五年前、二十七歳のときから地元のひとたちの聞き書きをはじめ、中国に渡って生存者と会い、この事件の真相を明らかにしてきた。ここに記録されているのは、目を覆いたくなるような残酷な事実で、日本人が侵略した中国本土でやっていたことが、この内地でもおこなわれいたことを示している。
「うさぎ狩り」といわれた、中国の故郷と家庭を破壊した強制連行の事実は、朝鮮・韓国でもおこなわれていたのだが、読みすすむと、圧倒的な事実の前で粛然とさせられる。と同時に著者が、うまずたゆまず、ゆっくりとした足どりで、故郷と中国の山道を歩きながら、埋もれかかった歴史の惨事を掘り出してきた営みに畏敬の念を覚える。日中両国の間に立つ、輝かしい紙碑といえる。
[図書新聞 2008/4/26]
地元で事件の掘り起こしを続ける難しさのなかからしか、解決の道は見いだせない。しかし、いったい事件の「解決」とは何なのか。和解といっても、いったい何の「和解」なのか。法的責任と道義的責任の別云々の議論の先には、もはや道はない。その地平を越えて、追及されねばならないものがある。簡単に〈闇〉というにはあまり暗い、「残酷を娯楽とし、他人の苦痛を見せ物として慰安」とする現代の人間の罪深さとの闘い―。半生をかけて紡がれた本シリーズは、そのことを伝えている。
[毎日新聞秋田版 2008/4/21]
野添さんは「強制連行の現場から考える」と題し講演。取材した警察史や市町村の史書には強制労働の実態が十分記されていないことなどを挙げ、「強制連行は今でも精算・整理されておらず、このままではうずもれてしまう」と指摘した。このほか、中国で関係者に取材した野田正彰・関西学院大学教授らも講演した。
[毎日新聞 2008/4/20]
「強制連行の現場から考える」と題した講演で野添さんは、全国135カ所ある、中国人労働者が強制連行された企業の事業所跡のうち109カ所を取材した体験を語り、「各地で強制労働があったことが市町村史に記録されていなかったり、教育現場で子どもたちに教えられていない。このまま強制連行の過去が清算されないままうずもれてしまうのではないかと感じている」などと述べた。
[秋田魁新報 2008/4/20]
野添さんは二〇〇一年以降、中国人が戦時中に強制連行された国内百三十五カ所のうち、百九カ所を訪ね歩いた。各地の警察史をはじめ、市町村史の強制連行に関する記述を調べてきたとした上で、「警察史は内容がずさん。相当間違っている。市町村史は、まったく書いていないのが約六割。書いていても、連行された人数や死者数が違っていた」と指摘、「こうした大変な本が後世に伝えられると思うと、恐ろしい」と述べた。
[北鹿新聞 2008/4/18]
また、侵略戦争の告発と、日中国交回復・友好を願って集団創作された木刻連三環画集「花岡ものがたり」の版木発見や、創作者の1人、牧大介(本名・下村信一)氏のことも記録されている。
「花岡ものがたり」は、侵略戦争の告発と日中国交回復・友好をねがって作られた版画集。中国でも出版され、高く評価されたが、なぞに包まれた部分も多かった。
牧大介氏は1920年、毛馬内町(現鹿角市)生まれ。旧制大館中に進学。花岡鉱山直営劇場、共楽館(のちに花岡事件で、捕らわれた中国人に対する拷問の場となる)に住んで苦学した。
卒業後、日製日立工場に勤務し、美術団体でも活動。1950年、日立争議で失職。そのころから中国美術の1分野、木刻連環に取り組んだ。
[秋田魁新報 2008/4/13]
事件をなきものにしようとする圧力の高まりや、多くの日本人の当事者意識の薄さに懸念を示している。
筆者は一九三五年生まれ。木材業界紙記者、ラジオキャスターなどを経て著述活動に入った。著書はほかに「開拓農民の記録」「塩っぱい河をわたる」など。
[毎日新聞秋田版2008年4月8日 2008/4/8]
戦時中の1945年、旧鹿島組花岡出張所(大館市花岡町)で中国人労働者が過酷な強制労働に耐えかねて蜂起、100人以上が犠牲となった花岡事件。この事件を長年追い続けてきた能代市在住ルポライター、野添憲治さんの著作集「花岡事件の人たち―中国人強制連行の記録」(全4巻、社会評論社)の刊行が完結し、記念のシンポジウムが今月19日、東京都千代田区の明治大駿河台キャンパスである。
[北羽新報 2008/2/24]
衝撃を受けたのは、日朝の人達の「秋田県朝鮮人強制連行真相調査団」が、国や県が自ら処分してしまった資料の残り滓から事実を丁寧に、かつ、公平に掘り出したことである。それと、鉱山で働いていた当の朝鮮人の人人の、淡淡とした語りを聞き書きで記録したことである。そこには人道をあまりにかけ離れた日本人による支配の凄みや、落磐、飢え、病、死と、目を背けたら、歴史の真実が消滅してしまうことへの真摯な態度がこもっている。
[出版ニュース 2008/1/8]
著者は花岡事件の取材を続けて45年になるという。その原点は著者もこの事件に加担したという自覚からであった。当時国民学校5年生の時、〈戦争末期にわたしの村に来た二人の中国人は、花岡事件で逃げた人たちだと気がついた。先生に引率されて行ったとはいえ、その二人にツバを吐きつけ、砂をなげたうえで何度も罵声を叫んだのだ―〉
[北羽新報 2007/12/14]
花岡事件に関する一連の著作をまとめたシリーズ・花岡事件の人たち第1集「強制連行」は、「花岡事件の人たち」と「花岡事件を見た二〇人の証言」の2部構成。期間の同名の著書をベースとしているほか、冒頭の「概説・日本の中国侵略と花岡事件」は「中国人強制連行・花岡事件関係文献目録(増補版)」(能代文化出版社刊)に加筆している。また、花岡での中国人虐待の実態を版画で描いた「花岡ものがたり」の原本とされる「秋田物語―花岡を忘れるな」(ノート)から版画と添え書きの写真が収録されている。
[北鹿新聞 2007/11/25]
野添憲治氏は、花岡事件に少しでもかかわった人と実態を見聞してきた人を訪ね歩いては「聞き書き」をし、中国人との接触もはかったりして花岡事件のなんたるかの「真実の検証」に粘りづよくあたってこられた。花岡事件と言っただけで禁句ともいえるほどいやがられた「検証への足がかりの苦労」は並大抵のものでなく、筆舌につくしがたい血をなめるような思いをしただろうと私は推察している。
[秋田魁新報 2007/11/22]
「約四千人の遺骨が今でも日本に残っている。中国には遺族がいるはず。同じ人間だから、日本で死んだ家族の事を知りたいのは当然。調べて教えてあげたい」。日本人とか中国人という前に「同じ人間」だという感性。野添さんが何げなく自然に口にした言葉が心に残った。
[毎日新聞秋田版 2007/11/22]
野添さんによると、花岡事件から62年を迎え、関係資料も限られてきたうえ、死亡する関係者も多くなり、事件の調査が困難となりつつある。今回の著作集の出版に向け、事件の全体像をより明らかにするため、大幅に加筆したのに加え、中国人の過酷な労働の実態などを描いた版画集「花岡ものがたり」に使われた版画の貴重な原画も各週に10枚ずつ収録する。
[世界へ未来へ 2007/11/20]
「極めて現代的意味の大きい記録」と、9条連代表の常石敬一さんも推薦している。







