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著作集・叢書 【沖縄・問いを立てる】
沖縄における「方言札」の出現/「南嶋詩人」、そして「国語」/翻訳的身体と境界の憂鬱/近代沖縄における公開音楽会の確立と音楽観/沖縄移民のなかの「日本人性」/沖縄教職員会史再考のために(2008・7)
【目次】
はじめに…方言札 ことばと身体 近藤健一郎
1…近代沖縄における方言札の出現 近藤健一郎
1 方言札に関する回想と先行研究
2 本稿の課題と方法
a 本稿の課題
b 本稿の方法5
3 回想から確かめられる方言札の存在時期
4 同時代史料に基づく方言札の存在しない時期の特定1
a 沖縄語と標準語とを対訳する授業
b 一八九〇年代後半における標準語のみを用いる授業論の出現
c 一九〇〇年代前半における沖縄語を用いた授業の否定
5 方言札出現の歴史的意義
a 一九〇〇年代前半の沖縄県師範学校における沖縄語禁止と標準語教育
b 全国的な標準語教育をめぐる状況
c 標準語習得と沖縄語禁止の意図をめぐる論理
d 結び
2…「南嶋詩人」、そして「国語」 村上呂里
八重山地域における近代学校/〈声〉と〈文字〉の相克
はじめに
1 前近代─〈文字〉をめぐる統治
2 近代学校の成立─〈文字〉の解放と〈声〉をめぐる統治
a「五音正シク」・「普通学のアイウエオ」
b 近代学校の意味するもの─平民・女性への〈文字〉の解放
3 〈声〉と近代学校
a 平民層にとっての学校
b 共同体の身体/近代学校の身体
4 〈声〉の発見─「南島」、そして「国語」
a 小学校教員としての喜舎場永珣
b 伊波普猷の脅え─柳田國男による「国語運動」という名づけ
3…近代沖縄における公開音楽会の確立と音楽観 三島わかな
はじめに
1 公開音楽会の確立と改良
a 学校教育の場における音楽会
b 学校以外の場における音楽会
2 大正期の音楽会にみる民間力
a 音楽文化的イベントの状況
b 琉球音楽演奏の場の多様化と正統性の自覚
3 昭和前期における社会楽の確立
a 昭和十五年をピークとした音楽会状況
b 社会楽と個人楽
おわりに
4…翻訳的身体と境界の憂鬱 仲里効
1 コロニアルな言語地図
2 翻訳的主体と内部の声
3 同化主義の予期せぬ現実
5…沖縄教職員会史再考のために 六〇年代前半の沖縄教員における渇きと怖れ 戸邉秀明
はじめに
1 新たな「日本」に直面して─六〇年代前半という時代
2 「母親と女教師の会」における解放と抑圧
3 国民教育分科会における復帰思想の変容と世代間の軋み
おわりに
6…沖縄移民のなかの「日本人性」 近代化と徴兵制から移民を考える 伊佐由貴
はじめに
1 日本における沖縄の位置、日系移民における沖縄移民の位置
2 日本人であること─近代化の一つの施策としての徴兵制
3 移民地における沖縄移民の歴史─ハワイの事例
おわりに
伊佐由貴
伊佐由貴(いさ ゆき)
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程総合社会科学専攻 アメリカ史・移民史研究(ハワイ日系人・沖縄系移民)
戸邉秀明
1974年生まれ 早稲田大学非常勤講師/日本学術振興会特別研究員
沖縄近現代史・日本現代史専攻
主要著作「沖縄 屈折する自立」岩波講座 近代日本の文化史8『感情・記憶・戦争』所収(岩波書店、2002年)、「転向論の戦時と戦後」岩波講座 アジア・太平洋戦争3 『動員・抵抗・翼賛』所収(岩波書店、2006年)
仲里効
1947年生まれ 映像・文化批評
主要著作『オキナワ、イメージの縁』(未来社、2007年)、『沖縄映画論』共著(作品社、2008年)
三島わかな
1970年生まれ 沖縄県立芸術大学・琉球大学・沖縄キリスト教学院大学・沖縄大学非常勤講師
音楽学専攻(西洋音楽史・洋楽受容史・近代沖縄音楽史)
主要著作「沖縄音楽の近代化と園山民平」『沖縄県立芸術大学紀要』第一六号所収(2008年)、「近代沖縄における五線譜の受容─宮良長包の民謡採譜を中心に」『沖縄文化』第四一巻二号所収(2007年)
村上呂里
1960年生まれ 琉球大学教育学部教授 教育学博士 国語教育専攻
主要著作『日本・ベトナム比較言語教育史─沖縄から多言語社会をのぞむ』(明石書店、2008年)
近藤健一郎
1967年生まれ 北海道大学教育学部准教授 日本教育史専攻
主要著作「学校記念誌にみる近代沖縄における方言札」『南島史学』第六三号所収(2004年)、『近代沖縄における教育と国民統合』(北海道大学出版会、2006年)
[沖縄タイムズ 2009/3/7]
それにしても、当時の教師たちは、どうしてあれほど「方言」を禁止しようとしたのか。教師たちの中に意見の対立はなかったのか。そこには沖縄の「国語教育」の問題がどう現れていたのか。そもそも「国語」「標準語」「方言」「方言札」とは何か。
そうやって問いを立てていけば、そこには沖縄にとっての「ことば」をめぐる多様な問題群が立ち現れてくる。
目取真俊・小説家
[琉球新報 2009/1/11]
近藤と村上は明治大正期、仲里と戸邊は一九六〇年代を対象とする。近藤は資料や聞き取りなどから、方言札の起源を探り、そこに国民化教育の日本側の思惑と、次第に養成されていった沖縄の教員との心理的乖離はありながらも、結局、戸惑う子どもたちの発語身体を「日本語」化し、県民が日本語の未習熟から社会的「不利益」や「未開視」をこうむらないようにという被植民地的配慮を見る。
[インパクション166 2008/8/8]
他方で、第四巻の『方言札―ことばと身体』の、奇妙な(非)同居状態もまた、別様の感受性から興味深い。この巻では、「方言札」や「国語教育」など「異化」と「同化」の問題が一つの軸となるが、そこで、「復帰運動」の担い手となった沖縄教職員の(最)評価をめぐって、仲里効と戸邉秀明の論考が対照をなす一方で、「公開音楽会」をめぐる音楽論もはいっている。また、「沖縄」と「日本」のはざまで「選択の困難さと意味を考えさせる」伊佐由貴の「沖縄移民」をめぐる本巻の論考は、ひとつの「沖縄」といってしまった途端にこぼれおちる者らの生の軌跡に肉薄し、沖縄固有の歴史にこだわりながら、ひとつの「沖縄」からこぼれおちる者たちと、そして、他の抑圧を被る者たちと出会う回路へ開いていくものとして読むことができ、印象的だった。







