●[産経新聞 2000/12月4日]
やすいゆたか『イエスは食べられて復活した』
「本書の魅力は、仮説自体のおもしろさ(または、ばかばかしさ)もさることながら、歴史(事実)とファンタジー(説明)の境界が、いかに考える人間の頭脳の中では曖昧なものであるかを考えさせる点にもある。すなわち、自分の中で歴史事実を解明しようと考えた『説明』が、いつの間にか、その説明を支える『事実』にすり替わってしまうのだ。もっとも、歴史批判のがくしゃにとっては、まさにイエスの復活こそがその恒例だと言うかもしれないが。(手島勲夫/大阪産業大学教員)」
●[共同配信 2000/11月5日]
塩沢英一『インドネシア烈々』
「約二年半前の「スハルト帝国」崩壊以来、民主化路線を進める一方で、国家分裂の危機にひんするインドネシア。ハビビ前政権の改革や騒乱に陥った東ティモール、独立運動が激化するアチェ、流血の宗教・民族抗争、民主的な大統領選挙などの現場でどんな人間ドラマがあったのか。政界の中枢からゲリラ解放区、暴動の最前線まで取材した第一線記者が、豊富な証言を基に建国以来の激変期の内幕を描く。最新インドネシア情勢を知る格好の一冊だ。」
●[図書新聞 2000/9月16日号]
白井久也・小林峻一編『ゾルゲはなぜ死刑にされたのか』
「なぜゾルゲにこれほどまでの関心が集まるのであろうか。ゾルゲやゾルゲ事件は、知れば知るほど深みにはまり病みつきになるという、『ゾルゲ病』ともいえる抗しがたい魅力がそこにはあるという。……『ゾルゲはなぜ死刑にされたのか』。本書のタイトルともなったこの謎を国際的視野から解明しようとした本書は、いままでゾルゲ神話に包まれていたこの人物の人間像に、神話を一つ一つ崩していくことによってアプローチしている。二〇世紀とその渦中を生きた人間のドキュメントとして、広く読まれるべき一書である。」
●[週刊読書人 2000/9月1日号]
津田道夫『弁証法の復権』
「著者の主張は、いたってシンプルのように読める。矛盾論=弁証法を一般理論として確立する地固め。つまり根本法則である『対立物の統一』と主要法則の三つ『量から質への、またその逆の転化、対立物の相互浸透、否定の否定』の性格と位置関係の混乱をマルクス、エンゲルスの古典に基づいてただすことである。……庶民の知恵であることわざを活用して否定の否定が貫かれているという説明、さらに『進化は同時に生命力の退化だ』といったさりげない指摘には、非進化論を包含した弁証法の可能性が感知できる。(鈴木正/名古屋経済大学教員)」
●[歴史地理教育 2000/9月号]
島川雅史『アメリカ東アジア軍事戦略と日米安保体制』
「アメリカはなぜ、冷戦後も日本に基地を置いているのか。なぜアジア太平洋に一〇万人の軍隊を展開させるのか。イラクを攻撃したり、朝鮮半島有事を強調したりするのか。沖縄県名護市のキャンプシュワーブ沖にできる新しい基地や、全国で報告される米軍機による低空飛行訓練など、日米安保体制の下で起きる問題から、東西冷戦後の世界新秩序や安全保障体制の問題まで言及し、すべて、アメリカの国益につながることを明解に記した本である。(土屋篤典/岡山県倉敷市立精思高校教員)」
●[東方 2000/9月号]
岡本雅享『中国の少数民族教育と言語政策』
「著者が指摘するように、『改革・開放』政策の進展は少数民族に巨大な影響を与える可能性がある。市場の論理が導入されることによって、現実問題として少数民族は漢語を習得することが経済的利益をもたらす現実に直面しつつある。一方で、朝鮮族や雲南省のジンボー族(ビルマではカチンと呼称)のように、国境の向こう側の同一民族との交流が民族語の再評価を生み出す可能性もある。今後、どのように少数民族の民族教育が変化するか、著者の次回作が待ち望まれる。(谷垣真理子/東京大学教員)」
●[神奈川新聞(共同配信) 2000/7月24日号]
白井久也・小林峻一編『ゾルゲはなぜ死刑にされたのか』
「戦前の東京を舞台にソ連(当時)に情報を送り続け『今世紀最大のスパイ』とも呼ばれるリヒアルト・ゾルゲの暗号名が、一九四一年六月の独ソ戦開始直後に急きょ変更されていたことが二十三日までに分かった。ロシア側が東京で開かれた国際シンポジウムにゾルゲの暗号電文を提供して明らかになった。……このほど出版された『ゾルゲはなぜ死刑になったのか』(社会評論社)に収録されている。」
●[図書新聞 2000/7月15日号]
藤澤健一『近代沖縄教育史の視角』
「筆者の歴史家としての企図は、歴史的主体形成の可能性を探索することにあった。
本書ではそれは『歴史解釈の〈客体〉とされてきた沖縄人を〈主体〉として位置づけ直す作業』であり、それは同時に『解釈者自身の歴史的、社会的な立場性を自覚化することと必ず連動していなければならない』ということであった。実態概念化を戒めつつ模索される『エスニシティーとしての沖縄人』という分析手法は、近代沖縄教育史の研究にあってはもちろん沖縄を対象に展開されている。
……若い研究者のみずみずしい方法的模索と、少々荒っぽいが、対象への積極的なアプローチが印象的であった。沖縄サミットを前に、なぜこうしたイベントが出てくるのか、大和人の発想と体質を理解するうえでも、ぜひご一読をお薦めする。(尾崎ムゲン/関西大学教員)」