●[東京新聞 2002/12月22日]
松岡環編著『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「かつての戦争の時代、普通の兵士が何をしたのか。普通の市民による丹念な聞き書きが恐ろしいリアリティーを浮かび上がらせた。」(徐京植)
●[東京新聞 2002/12月22日]
鵜飼清『山崎豊子 問題小説の研究』
「出版のたびに盗用が問題となる作家を追って、なぜ四二〇ページをこえる大著を書くのか。初めそんな疑問を持つのだろうが、読み進めると、山崎豊子という国民作家の作られ方を丹念に分析することによって、優れた現代日本社会論になっているのを知る。」(野田正彰)
●[図書新聞 2002/12月21日]
浅見克彦『消費・戯れ・権力』
「文化領域に視点を定めた経済システムの批判であると同時に経済学批判の書でもある。類書がなく、貴重な力作である。」(石塚良次)
●[週刊読書人 2002/12月20日]
浅見克彦『消費・戯れ・権力』
「本書に違和感をもつのは、カルチュラル・スタディーズがボードリアール流の『消費社会論』をふまえつつ、記号の戯れといったコンセプトで分析した気になっていたポストモダン派を批判して、記号の様々な配置と接合のプロセスを通じたクラスやジェンダーやレイスの新たな政治的文化的布置がどう権力の作動とそれに対する抵抗の契機を生み出しているのかを論じた、そのもっとも肝心な視点が消失しているように見えることだ。」(伊藤守)
●[日本経済新聞 2002/12月8日]
浅見克彦『消費・戯れ・権力』
「広告主は権力的に支配しようとしているが、受け手は戯れとして消費しているのだと主張する。消費文化を論じる手だてを持たなかったマルクス経済学を、カルチュラル・スタディーズの方法によって革新しようとする理論的試みである。ただし具体例には乏しく、思弁の軌跡が詳述されている。」(松原隆一郎)
●[北海道新聞 2002/12月8日]
浅見克彦『消費・戯れ・権力』
「新しい文化論の方法であるカルチュラル・スタディーズの視点から、消費文化をめぐる文化と経済のシステムを批判的に考察。」
●[Future Japan 2002/12月]
高橋靖夫・奥山忠信『金の魅力 金の魔力』
「本書はいたずらに金投機を勧める相場本ではない。現実離れした学術書でもない。あくまで、海図なき時代を生き抜かなければならない庶民のためのメッセージだ。」
●[図書新聞 2002/10月19日]
日本近代演劇史研究会編『20世紀の戯曲・II』
「『戯曲史』といういささか古風な響きに反して、きわめて野心的な書物である、とひとまず言うことができる。……『新劇』『アングラ』『ポストアングラ』という従来までの枠組みを『戯曲』という伝統的な視点をあえて導入することによって、どこまで相対化しうるのか、という実験的な可能性に向かって『20世紀の戯曲』は、その第一歩を踏み出しつつあるように見える。」(森山直人)
●[じちろう 2002/10月21日]
やぶれっ!住民基本台帳ネットワーク市民行動編『私を番号で呼ばないで』
「本書は、住基ネットの解説書であり、改正住基法案当時からの運動の記録でもある。住基ネットを、たんなるプライバシー問題としてではなく、私たちの生き方を丸ごと管理しようとする社会の動きの中で捉えている。」
●[社会新報 2002/10月16日]
やぶれっ!住民基本台帳ネットワーク市民行動編『私を番号で呼ばないで』
「住民基本台帳ネットワークという『分かりにくい問題を分かりやすく』解説するために編集された、タイムリーな一冊。住基ネットの本当の怖さは『最低限の本人識別情報と識別コードを住基ネットで管理し、他の個人情報データベースへのアクセスを可能とすれば、「さまざまな個人情報を一元的に収集管理」しなくても効率的で拡張性ある国民総背番号制が誕生する』ことだと、平易に明らかにしている。」(矢島傑)
●[図書新聞 2002/10月12日号]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「『南京大虐殺』はあったのかなかったのか、これらの証言に接してなお、電卓でもたたきながら、私たちはそう問うのだろうか。六〇年以上の歳月を超えて、日本がまるごと『沈黙の村』にならないために、本書が達成したものは限りなく大きい。」(細見和之)
「本証言集は、別に職業をもった市民グループの面々が、四年余の歳月を費やし、土日その他の休日を全部それに献げて達成したところとして、私は高く評価し、できるだけ多くの識者の繙読を願いたいと思う。『専門家』と自称し、他称される諸君も、本証言集を避けて通ることはできないであろう。ただ、南京戦に参加した元兵士たちも、いちばん若くても、いまや八十歳代後半にはいっているはずである。その点、私は、この種の聞きとり調査としては、これが最後の機会ではなかったかと懼れる。」(津田道夫)
●[共同配信 2002/9月22日]
「すでに八十歳をこえた元兵士たちの口から吐き出される衝撃的な告白の数々。方言など、語り口を生かした聞き書きが、現実味を裏打ちする。ナショナリズムの両岸に引き裂かれた論争とは別に、『戦場における人間』という命題について考えさせられる一冊。」
●[週刊文春「私の読書日記」 2002/9月19日号]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「語られる地獄絵巻も怖いが、さらに怖いのは、それを回想するのが、殺人鬼でも異常性格者でもない、ごく平凡な人々であるということ。殺される側の恐怖、無念、苦痛に対するおめでたいほどの鈍感さ。そして何よりも、多くの日本人が、世界が知るこの過去の恥部に顔を背け続けること。本書の中国語訳、韓国語訳が近々刊行されるのは、その意味でも意義深い。」(米原万里)
●[共同配信 2002/9月22日]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「すでに八十歳をこえた元兵士たちの口から吐き出される衝撃的な告白の数々。方言など、語り口を生かした聞き書きが、現実味を裏打ちする。ナショナリズムの両岸に引き裂かれた論争とは別に、『戦場における人間』という命題について考えさせられる一冊。」
●[東京新聞 2002/9/1]
羽田令子『虹児 パリ抒情』
「挿絵画家・蕗谷虹児の最後の弟子という著者が、小説、ルポルタージュ、エッセーの三つの形式で、師の人間像を俯瞰した。タブロー画家への夢を抱いてパリへ旅立ち、シャンゼリゼの画廊で個展を開催するまでに至る日々を追って、当時の光と影を愛情深くたぐりよせた。」
●[共同配信 2002/8月11日]
津田道夫『侵略戦争と性暴力』
「著者は南京大虐殺や現地女性の強姦など残虐な行為を行った日本人の精神状況を分析し、日本人の間に形づくられてきた『天皇制社会』的な価値と、中国人蔑視と不可分の関係にあったとみる。これは兵士に限らない。当時から軍部は大衆の物欲、エゴイズムをそのまま対外侵略のエネルギーに転嫁していたとも論じている。」
●[図書新聞 2002/8/10号]
やぶれっ!住民基本台帳ネットワーク市民行動編『私を番号で呼ばないで』
「住基ネットは住民負担の軽減・住民サービスの向上のためのシステムだと喧伝されている。だが実際には、住民票コードによって照合さが明確にでき、確実な本人確認ができるという『利便性』は、実際には国家にとってのものであることを知る必要がある。
……本書の指摘が現実のものとなりつつあることは、住基ネットが私たちの日常を監視するための法整備であり、それが有事法制構築に向けた土台作りであることからみても明らかであろう。今回継続審議となった有事法制は地方自治体と『国民』の協力義務を明記している。本書が指摘するとおり、『有事』の際の動員体制を構築するためには、『国民』の詳細なデータが不可欠となる。つまり住基ネットは、こうした『有事』の動員体制の基礎システムとして機能する可能性をもつものに他ならないのだ。」
●[毎日新聞(埼玉版) 2002/8/5]
羽田令子『虹児 パリ抒情』
「主婦で日本ペンクラブ会員の作家、羽田令子さんが、大正〜昭和期の挿絵画家、蕗谷虹児の生涯を描いた『虹児 パリ抒情』(社会評論社)を発行した。中学時代に蕗谷と親交があった羽田さんが虹児の面影を求め、十数回渡仏して取材、美術史的にも興味深い力作となった。」
●[共同配信 2002/8/4]
やぶれっ!住民基本台帳ネットワーク市民行動編『私を番号で呼ばないで』
「一九七〇年代に、『国民総背番号制』が打ち出されたときは、反対運動が盛り上がったが、今回は『あれよあれよという間に事態が進行』したと編者は嘆く。同システムを扱った本は恐らく初めてという状況が、時代の変化を痛感させる。」
●[新文化 ニュー・パブリケーション 2002/8月1日号]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「本書は南京戦、とりわけ問題となっている『南京大虐殺』の糾弾を前面に出してはいない。多田その根底には、歴史の闇に消え去る前に、一方の当事者の口から事実を引き出し記録しておきたいという明確な意図がある。聞き取りは双方が普段使っている関西弁で、よもやま話を織りまぜながら根気よく行われた。しかし南京戦に話が及ぶと、急に黙り込んだり、怒りを露わにしたり、警戒する人もいた。
……これだけ多くの証言を集めた本はこれまで日本にはなく、研究の第一次資料として、また次の世代に事実の重みを伝える上でも貴重な労作である。」
●[毎日新聞 2002/7月29日]
知識環境研究会編著『いけ! モバ大生』
「『モバ』は、自由設計の学位取得プログラムの英語表記の略。著者は、大学の講義や演習の中から必要な科目だけを選んで単位を取る『科目等履修制度』を利用して一つの大学のカリキュラムに縛られない『自分だけの大学』をつくるよう呼びかける。いくつもの大学で自分の研究テーマに合った単位を取り、これをひとまとめにして文部科学省の大学評価・学位授与機構に申請すれば、学位が取得できると説く。」
●[毎日新聞関西版 2002/7月14日]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「日中戦争で南京攻略戦にかかわった旧日本軍の元兵士102人から、大阪府の市民団体『南京大虐殺60カ年全国連絡会』が聞き取り調査を行った。元兵士の証言はこれまで一部しかなかった。兵士ではない女性や子どもを無差別に殺し、捕虜の虐殺、性暴力、食糧などの略奪を繰り返していたことを生々しく証言している。」
●[朝日新聞 2002/7月13日夕刊]
松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』
「日中戦争時、南京攻略戦に従軍した日本軍兵士の証言集が8月に出版される。登場するのは102人の元兵士。60年余り前の記憶を呼び起こし、初めて『虐殺』を語ったという人がほとんどだ。一方、手柄話のように話を続ける人や、口を閉ざそうとしたり、虐殺の事実を否定したりする人もいる。これだけ多くの兵士の声が集められたことはこれまでなかった。
……聞き取りをまとめた松岡さんは『心から悔いている人はあまりに少なかった。ただ、記憶を呼び起こす中で、中国の被害者に人間らしい心を寄せて下さった方もいた』と話している。」
●[図書新聞 2002/7/13号 インタビュー]
ウリハッキョをつづる会『朝鮮学校ってどんなとこ?』
「朝鮮学校にもいい面ばかりじゃなく、もちろん問題もたくさんありますけれども、子どもたちにとって、とりあえず安心した空間が確保できている。いまの日本の環境のなかでは、そのことがどれだけ大切かをまず考えますね。
これから日本に定住していく外国人として、社会の中に必要とされるいい学校にしていこうじゃないか、と思うんです。そういう努力をしていこうということを、私は内に向けても言いたいんですね。この本には、そうした外と内に向けてのメッセージを込めたつもりです。」(金栄)
●[週刊金曜日 2002/7/5号 自薦]
石坂浩一編『日韓「異文化交流」ウォッチング』
「日本では、韓国人は極度に民族主義的で日本たたきに快感を覚えているという俗説がある。近年はこれに対抗して、政治では対立があっても出会えばお互い仲良くなれる、というう物語がよく語られる。まちがいではあるまい。だが日韓関係総体を思うとあまりに楽天的だ。……韓国人のほとんどが日本との友好を願う。しかし、日本の政治には憂慮している人が多い。交流の楽しさ、大切さとともに、そこから生まれるエネルギーが平和構築や日本社会の歴史のとらえ直しにつながるべきことを読み取ってもらえればと思う。」(石坂浩一/立教大学講師)
●[サンデー毎日 2002/6/9号 書評]
パトリック・ミニョン『サッカーの情念』
「毎週スタジアムに足を運ぶ熱狂するサポーター、熱狂が暴動に発展するフーリガん。彼らの、あのサッカーに賭ける情念の正体は? サッカーを社会的側面からアプローチし、感動する共同体のメカニズムを解析した画期的論考」。
●[図書新聞 2002/6/1 書評]
石原昌家・大城将保・保坂廣志・松永勝利『争点・沖縄戦の記憶』
「幾たびかの『島ぐるみ闘争』によって、日本本土の無関心、その暴力性を突いてきた戦後の沖縄社会と、それを弱めて基地の重圧を押しつけてきた戦後日本国家。そのなかに私たちが生きる日常があるのだ。
沖縄の人々が共生共死の連帯意識によって示した憤怒の、疼きにも似た声に、本土の私たちが『蜜月』『フレンドシップ』ならぬ共生共死で呼応する手だてはないのか。何より『争点・沖縄戦』はそのことと、終わらぬ『戦争』のいまを問い。その改竄に抗する視点をよびさます」(米田綱路/図書新聞編集)。
●[琉球新報 2002/5/26 書評]
石原昌家・大城将保・保坂廣志・松永勝利『争点・沖縄戦の記憶』
「国の『意向』というものを前提においた地方行政が、いかにそれを『自主的』にくみとって『自治』をおこなったのかを『検証』することになった県の平和祈念資料館問題。……そこでなにが起こり結果したのか、監修員会のメンバー、報道においてスクープした記者という当事者たちが、おりからの有事法制化の波のなか、あらためて検証し問題の本質を明らかにしてゆくというのが、本書の眼目であろう。……沖縄戦によって『実証』されたのは、近代国家の軍隊は自らの『国民』をまもらない、ということだったではないか。その国民の側の沈黙の重さが、身を切るような思いで語られた証言の重さと等価でないはずはない。本書が投げかけた課題は、まだ端緒についたにすぎない」(大胡太郎/琉球大学助教授)。
●[朝日新聞 2002/5/12 書評]
金徳龍『朝鮮学校の戦後史』
「一九四五年の日本の敗戦とともに日本の中の朝鮮民族の学校は産声をあげ半世紀を超す歴史を刻んできた。民族学校の大部分を占める朝鮮学校の誕生から四半世紀を記録した本書は、学校がすなわち民族であった草創期の熱気をよく伝えている。……朝鮮大学校で久しく教育にたずさわった著者は写真を含め貴重な資料を活用、一世による二世への教育の時代を叙述した。」(石坂浩一/立教大学講師)。
●[日本経済新聞 2002/4/14 書評]
パトリック・ミニョン『サッカーの情念』
「近年、大衆文化研究の隆盛に合わせて、サッカーの社会学がずいぶん出版されている。全体として、かつての戦績や戦術や選手中心の歴史から、階級・地域・民族・国家のアイデンティティ、暴力や産業、映像やジャーナリズム、建築や空間のような問題へと関心が移っている。サッカーは試合の限られた時間や空間の枠をこえて、社会の本質にかかわり、人々の価値観や感情、政治的態度、自分らしさ、自分たちの拠り所を表出するまたとない小宇宙である。本書はこのような最近の考え方を、サポーターの組織化と暴力を中心に論じている。……サッカーがピッチの上やスタジアムの中で完結しているわけではなく、その外側の社会全体の仕組みとこれだけ深く関わっているのか、と分析の深さに感嘆する」(細川周平)。
●[読売新聞 2002/3/30 記事「サッカー本 空前のラッシュ」]
パトリック・ミニョン『サッカーの情念』
「日本でもその対策が練られているフーリガンを生んだ社会背景を分析した学術的な著作。……ヤワなサッカー本に飽き足らない人向けか」。
●[読売新聞 2002/3/30 記事「サッカー本 空前のラッシュ」]
市之瀬敦『ポルトガル・サッカー物語』
「過去二度しか出場していないのに、〈語るべき内容にはこと欠かない国〉のサッカーを解きあかす好著」。
●[週刊金曜日 2002/3/29 きんようぶんか]
岡村達雄編著『日本近代公教育の支配装置』
「教師と処分の関係はずいぶん古いらしい。この本によれば、明治の初め、学制が敷かれた当初から政府の方針に批判を持ち、抵抗する教師がいたという。……追従者か、抵抗者か。この本は支配装置としての近代公教育の流れの中で、けっして国家意志に屈しない教師たちの一団がつねに存在し続けたことを明らかにし、現在を抵抗者として、あるいは抵抗者であろうとして生きる教師や市民に熱いエールを送る本だ。(竹見智恵子/フリーライター)」
●[公明新聞 2002/2/4 読書]
和田博幸『カンボジア、地の民』
「1993年にフリーのジャーナリストとしての第一歩をカンボジアの地から踏み出した著者はその後、アジアの各地を歩く中で当然カンボジアも訪れてはポル・ポト政権の残した深い傷がいまだ癒えぬ、この地の社会の変化や伝統文化の復興などにジャーナリストとしての眼差しを注いできた。……そして『現実のひずみの根源は農村にある』と感じた彼は農村に住み込み、農民の実像に迫ろうと考え、実行に移した。本書はその1999年10月から翌00年4月までの半年間の記録。現在のカンボジアの人々の息遣いを本書から読み取ろう。」