時代と世代を超えて導く啄木文学 ─長浜功氏の仕事◆石川啄木評論3部作

作家・長浜功氏が手がける石川啄木評論集はこれまでに3作が小社から刊行されています。文学研究者、啄木ファンには必読の三部作の詳細をご紹介いたします。


石川啄木という生き方  二十六歳と二ヶ月の生涯(2009年)


はじめに

最初に断っておきたいことは本書は石川啄木に関する「人物論」だということだ。文芸論や作家論は専門家に任せて、本書は専ら石川啄木という夭折の人物像を追ったものである。

石川啄木が二十六歳と二ヶ月という若さで亡くなってからまもなく百年になる。数多い啄木研究の成果によってあらゆる角度から研究し尽くされて余人が入り込む隙がないのかも知れない。しかも啄木ほど評伝の多い人物も珍しい。どんなに有名でも伝記というのは、ある個人について書かれるのは多くて二、三冊である。ところが啄木について言えば大正時代から今日まで何十冊もの評伝があり、ともかく文学界では傑出した人物であることは言うを待たない。

そういう立錐の余地もない世界に、なんでまた一介の素人ごときが入り込もうとするか、と尋ねられれば尻込みするしかないが、やや大胆に言えば少し新しい視点で見直したかったから、ということに尽きる。一つの資料でも見方や角度を変えれば解釈はかなり異なったものとなってくる。

例えば啄木の日記や書簡は有名で、啄木の人生を伺う重要な役割を果たしてくれる。しかし、この日記や書簡も啄木の言い分を鵜呑みにすると火傷を負うことになる。さらに、これまでの啄木評価が大先生といわれる大物や小物の言い分を鵜呑みにして歪んだ啄木像を増幅させていることもあって、一度、別の角度から啄木像の洗い直しを試みたかった、ということもある。

基本的には資料を中心に極力事実に即した分析を試みたが、なかには事実と事実の間隙を埋めなければならない場面は避けられず、その場合には私の視点つまり解釈を導入した。また、文体に弾力性をもたせる為に資料を直接引用せず、これを間接的に表現するという試みを加えたところもある。これまではそうした手法は極力排し客観的記述に留まるよう終始してきたが、それでは啄木の人間性を捉えることには限界があり、むしろこの壁を取り払った方が啄木像により近づけるという判断に立ってのことである。

だから本書は小説とドキュメントの間に位置するものと考えて頂いていい。ただ、姿勢としては極力、客観的な記述にする心がけを終始忘れないようにしたことは付け加えておきたい。

多くの日本人に夢や希望を与える歌を遺してくれた若き歌人、石川啄木の人間的生き方を改めて見つめ直す契機になってくれればと願っている。

二〇〇九年七月一日
長浜 功


目次

はじめに

序 夭折の章

1 誕生年
2 いきなりの晩年
3 病魔の前兆
4 夭折
5 啄木の生涯

Ⅰ 山河の章

一 渋 民
1 野鳥動物園
二 少年時代
1 恵まれた環境
2 小学校生活
三 盛岡中学時代
1 悪童
2 文芸熱
3 退学
4 恋の道

Ⅱ 青雲の章

一 東京新詩社
1 与謝野鉄幹
2 詩人達との交流
3 生活の暗雲
二 『あこがれ』
1 石川白蘋
2 作品の評価
3 雅号「啄木」
4 模索
5 『あこがれ』出版
6 まぼろしの著作
7 住職罷免
8 節子との結婚
9 『小天地』第一号
10 破綻
三 忍 従
1 渋民回帰
2 代用教員
3 村人との反目

Ⅲ 流浪の章

一 函 館
1 一家離散
2 函館「苜蓿社」
3 橘智恵子への思慕
4 宮崎郁雨
5 「函館大火」
二 札幌・小樽時代
1 北門日報
2 野口雨情の証言
3 初出勤
4 有島武郎とのスレ違い
5 小樽日報社
6 歌うたうことなく
7 退社
三 釧 路
1 流浪の果て
2 さいはての地
3 新編集長の手腕
4 飲酒溺色
5 残された家族たち
6 釧路離脱
7 最後の上京

Ⅳ 懊悩の章

一 再 起
1 小説一筋
2 金田一京助の支援
3 死への誘惑
4 二つの恋
(1)植木貞子の場合
(2)菅原芳子の場合
二 放 蕩
1 新聞連載実現
2 「塔下苑」紅燈
3 朝日新聞校正係
4 ローマ字日記
5 ローマ字日記の再評価
6 家族の上京

Ⅴ 閉塞の章

一 葛 藤
1 確執
2 「里帰り」事件
3 化石
4 言論統制
5 幸徳事件
6 閉塞の時代
二 病 臥
1 『一握の砂』
2 土岐哀果
3 雑誌『樹木と果実』
4 病臥

Ⅵ 蓋閉の章

一 暗 雲
1 苦悩
2 一禎の家出
3 「不貞」騒動
4 義絶
5 和解
6 決別と敬遠
二 残 照
1 義絶の果て
2 母の死
3 『悲しき玩具』
三 蓋 柩
1 臨終
2 葬列
3 残照
4 出納簿
5 房州北条
6 再びの青柳町
7 墓標

あとがき
啄木同時代人物一覧
参考文献・資料一覧
啄木簡略年表


石川啄木という生き方 二十六歳と二ケ月の生涯
長浜功/著307頁・A5判2段組
定価=2,700円+税

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啄木を支えた北の大地  北海道の三五六日(2012年)


本書の意図は啄木が北海道を駆け抜けた356日の後を辿り、その意味を今一度問い直したかったという一言に尽きている。

はじめに

これまで数多く語られてきた啄木論ではあるが北海道時代について掘り下げた考察は多くはない。というのは啄木が北海道で過ごした期間が短いものであり、またその中身が評価に価しないという認識に拠っているからであろう。

ちなみに啄木の北海道滞留の日々を整理してみると次のようになる。

◇函館 明治四十年五月五日~九月十三日(一三二日)

◇札幌 明治四十年九月十四日~九月二十七日(十四日)

◇小樽 明治四十年九月二十七日~明治四十一年一月十九日(一一四日)

◇岩見沢~旭川 明治四十一年一月十九日~一月二十一日(二日)(*二十日は岩見沢、二十一日は旭川泊)

◇釧路 明治四十一年一月二十一日~四月五日(七十五日)(*該年は閏年につき一日追加 **四月六日は船中泊)

◇函館 明治四十一年四月六日~四月十三日(八日)

◇小樽 明治四十一年四月十四日~四月十九日(六日)(*小樽の留守家族を迎えに)

◇函館 明治四十一年四月二十日~二十四日(五日)(*家族・友人と歓談後上京まで)

計 三五六日

あと十日で一年というきわどい滞道であった。それは必ずしも長い時間とは言えないが二十六歳で夭折した啄木にとっては決して短いものではなかった。言ってみればこの三五六日間、啄木はそのかけがいのない日々を北の大地で漂流と彷徨のうねりの中に過していたのである。

一時期、啄木と同じ職場で机を並べて過ごしたことのある野口雨情は釧路時代の啄木を評して「いわば石川の釧路時代は、石川の一生中一番興味ある時代で、そこに限りなき潤ひを私は石川の上に感ずる」と述べているほどである。

単に釧路のみならず啄木が足跡を残した函館、札幌、小樽もまた啄木にそれと同等かそれ以上の影響を与えたことは疑う余地はない。

本書の意図は啄木が北海道を駆け抜けた三五六日の後を辿り、その意味を今一度問い直したかったという一言に尽きている。

二〇一一年八月一日
いわきから避難し、同居している孫娘の無事な誕生日を祝って

                                             著者


目次

はじめに

序 章 開拓期の北海道と文学

一 開拓と文学
二 明治の文学
三 北海道文学の開拓時代
四 道外作家と北海道との機縁
1 幸田露伴
2 葛西善蔵
3 国木田独歩
4 徳富蘆花
5 島崎藤村
6 野口雨情
7 岩野泡鳴
8 長田幹彦
9 鳴海要吉
五 夏目漱石と岩内
六 札幌農学校
1 札幌農学校
2 新渡戸稲造
3 内村鑑三
4 有島武郎
七 道産子作家の誕生
1 第一世代
2 女流作家
3 北海道文学の地平

第一章 原郷渋民村

一 神 童
1 啄木庵
2 やんちゃ坊主
3 故郷の山河
二 盛岡中学
1 文武両道
2 東北ルネッサンス
三 波 乱
1 初恋
2『明星』初掲載!
3 退学届
4 初の上京
5 暗雲
四 渋民村回帰
1 療養生活
2 再度の上京
3〝浪費〟
4『あこがれ』出版顛末
5 一禎の住職罷免
6『小天地』
7 渋民回帰
8 代用教員
9 作家転向
10 反目

第二章 函 館

一 苜蓿社
1『紅苜蓿』
2一家離散
二 函館東浜桟橋
1 函館上陸
2 歓迎の宴
3 北の大地
4 紐帯
三 函館の日々
1 生活の糧
2 歌会
3 初期の作品
4 同人たちの作品
5『紅苜蓿』編集長
四 慕 情
1 函館日日新聞
2 弥生小学校
3 函館大火
4「美しき秘密」
五 離 別
1 離別の宴
2 恋慕

第三章 札 幌

一 北門新報社
1 二通の履歴書
2 詩人の住むマチ
3 出社
二 交 友
1 田中家の人々
2 野口雨情
3 ある歪曲
4 小国露堂
5 露堂と啄木
6 最後の賀状

第四章 小 樽

一 小樽日報社
1 家族団欒

2 初出社
3 意気投合
4 雨情の曲解
5 陰謀荷担
6 逆転
7 筋書き
二 小樽の日々
1 小樽の印象
2 三面記事
3 若き商人
三 小樽退去顛末
1 新構想
2 鉄拳
3 空白の時間
4 智恵子抄
5 最果ての地へ

第五章 釧 路

一 最果ての地
1 彷徨の果てに
2 記者魂
3 酒色三昧
4 芸者小静
5 策謀
6 留守家族
7 紙面
二 覚 醒
1 一念発起
2 釧路離脱
3 函館の寧日
4 再びの小樽
5 最後の上京

終 章 立待岬

一 北の大地から生れた啄木の作品
1 作家啄木
2 構想
3 北の大地
4 斎藤大硯
5 作品 (1)『漂泊』 (2)『病院の窓』 (3)『菊池君』 (4)『札幌』
二 郁雨抄
1 友情の連鎖
2 郁雨
3〝事件〟
4 再会
5 義兄弟
6 第二の家族
7「家出」
8 義絶
三 残 照
1 無念の死
2 節子の願い
3「埋骨の辞」
4 立待岬

あとがき
参考文献

啄木を支えた北の大地 北海道の三五六日
長浜功/著261頁・A5判2段組
定価=2,700円+税

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『啄木日記』公刊過程の真相  知られざる裏面の検証(2013年)

 


本来なら啄木の遺言どおり「焼かれるべくして焼かれた」運命をたどるはずの日記は、啄木の生涯と同じ轍を踏み、薄幸な運命をたどりこの世から消え失せて少しもおかしくなかったのである──。

はじめに

石川啄木の研究を始めてまだ日が浅く、さっぱり成果が上がらないが、今回は日記に焦点を当ててみようと考えた。日記を通しての啄木の人間像を描くつもりであった。

ところが取り組みだして見るといつの間にか想定していたものと異なり、日記の内容に入る前に一つの新しい課題に突き当たり、その作業を進めてゆくうちに一冊の分量になってしまった。

というのは定石通り日記にまつわるいくつかの謎を解き明かしてゆくと思いがけない新しい事実が次々と出てきて収拾がつかなくなってしまい、日記の中身にたどりつく前に先ずこれらの新事実を整理しておく必要があると考えるに至ったのである。

私も実は啄木の日記が今日私たちの目の前にあることを当然のことのように思っていた一人である。ところが少し調べてゆくうちにこの日記が今あるのはいくつもの偶然と幸運そして幾人もの献身的で必死の努力によって辛うじてもたらされたものであることを知った。

さる高名な啄木研究家は「残るべくして残った」と語ったが、とんでもない。本来なら啄木の遺言どおり「焼かれるべくして焼かれた」運命をたどるはずだったのである。いわば啄木の日記は啄木の生涯と同じ轍を踏み、薄幸な運命をたどりこの世から消え失せて少しもおかしくなかったのである。

その事実を知るにつけ、これは看過できない一つの史実だと思うようになってからというもの、この問題にかかりきりになった。

ただ、最初はやはりこうしたテーマは重箱の隅をつつくような気がしないでもなく、世につまびらかにする価値があるのか、という思いがないわけではなかった。それでなくとも石川啄木については多くの研究者や愛好家によって仔細な分析や解明が行われている。

その上にさらに屋上屋を架するが如き小著の参入は読者に迷惑をかけるばかりかも知れない、という迷いもあった。

しかし、今日、啄木研究に不可欠の第一級史料とされるこの日記がこの世に生き延びた隠れた歴史を書き残すこともまた啄木研究にとって重要なテーマの一つだと確信するに至ったのである。それ故、本書は啄木の文芸、思想、人間性といった内面に関わる問題ではなく、反対にその外面、即ち啄木の残した日記を通して啄木の世界を描こうという試みであり、日記に関わった人々の知られざる側面をなぞらえようとしたもので、これまでとは異なる視点からの取り組みである。

また本書では石川啄木の後嗣になった須見正雄、即ち石川正雄について少し取り上げた。おそらく初めての石川正雄論だと思う。集めることの出来たデータは明らかに不足して中途半端なものになっており、今後の検討が必要だと思っている。

また今回はテーマが一つに絞られていたにも拘わらず、資料的には広範囲な蒐集が必要で、特に国会図書館を始めとして各地の図書館の検索・レファレンス・サービス・複写係には格段の手を煩わせた。時に古い時期の新聞の一段記事たった一つの検索で門前払いを食ったこともあったが、ほとんどの図書館は貴重な情報を提供してくれたり、一度に多量の文献の複写を嫌な顔をせず快く処置して頂いた。

もし、本書が幾許なりの評価をもらえることがあるとすればその功績は筆者ではなく図書館にあると言っておきたいほどである。これほど図書館の有用性と便利性を認識したのは初めてである。とりわけ次の各館には特にお骨折りを頂いた。お世話になった個人名は割愛するが記して厚く謝意を表したい。(順不同)

中央大学図書館
武蔵野大学図書館
岩手県立図書館
東京都中央図書館
北海道立図書館
函館市立中央図書館
小平市立図書館

昨年は啄木没後百年ということで啄木を忍ぶ行事や催事が執り行われ、またマスコミ界の特集など多彩な取り組みが行われた。さらに電子出版の普及によって啄木の作品を容易に入手できるようになった。新たな若い世代が啄木と触れあうことによって新しい啄木文芸の幕開けになることを期待したい。

   二〇一三年二月二十六日

         著者

 


目次

はじめに

Ⅰ 啄木日記の位相

一 日本人と日記
二 啄木の日記
三 日記と手紙
四 ローマ字日記
五 啄木日記の位相
六 一粒の麦、地に落ちずば
七 日記関連人脈
1 石川節子
2 宮崎郁雨
3 土岐哀果
4 岡田健蔵
5 金田一京助
6 丸谷喜市
7 吉田孤羊

Ⅱ 日記は如何に生き長らえたか

一 啄木の死
二 日記と環境 
三 主なき日記の保管
1 遺品の盗難
2 節子の保管
3 丸谷喜市
四 遠のいた焼却
五 節子・郁雨・健蔵
六 生々流転
1 京子の結婚
2 哀果の函館訪問
3 丸谷喜市の〝抗告〟
4 函館大火
5 改造社の版権買い取り
6 吉田孤羊
7 日記の永久保存

Ⅲ 空白の日記

一 日記の条件
二 空白の日記
1 『秋韷笛語』(明治三十五年)
2 第一の空白の一年(明治三十六年)
3 『甲辰詩程』(明治三十七年)
4 第二の空白(明治三十七年~明治三十八年)
5 MY OWN BOOK FROM MARCH 4.1906 SHIBUTAMI『渋民日記』(明治三十九年)
6 『明治四十丁未歳日誌』(明治四十年)
7 『明治四十一年戊申日誌』(明治四十一年)
8 『明治四十一年日誌』(明治四十一年)
9 『明治四十二年当用日記』(明治四十二年)
10 NIKKI.1 MEID 42 NEN.1909『「ローマ字日記』(明治四十二年)
11 『明治四十三年四月より』(明治四十三年)
12 『明治四十四年当用日記』(明治四十四年)
13『千九百十二年日記』(明治四十五年)
三 節子と日記
1 房州の節子
2 函館に戻った節子
四 破られた日記
1 植木貞子の乱
2 九州の女流歌人菅原芳子
五 不明になっている日記
六 北海道から回収された日記
1 切り取られた日記問題
2 新聞による経緯
3 混乱の果てに

Ⅳ 日記公刊過程の検証

一 日記の黎明
二 版権委譲問題と石川正雄
三 改造社の策謀
四 土岐哀果と石川正雄の和解
五 吉田孤羊の訪函
1 最初の訪函
2 二度目の訪函
六 日記の漏洩(一)
七 日記の漏洩(二)
八 漏洩の“犯人〟
九 孤羊の蠢動
十 石川正雄の反旗
十一 丸谷喜市をめぐる誤解
十二 マスコミの煽動
十三 岡田健蔵の公刊拒否の放送
十四 空白の狭間
1 大原外光『啄木の生活と日記』(弘文社
2 宮本吉次『啄木の日記』(新興音楽出版社)
十五 石川正雄の専断
十六 日記出版残響
1 金田一京助の添言
2 宮崎郁雨の回想

Ⅴ 石川正雄論

一 石川正雄の行方
二 新聞記者と演劇
1 京子との出会い
2 正雄の失職
3 『留学』の実態
三 『呼子と口笛』
1 上京
2 文芸誌『呼子と口笛』の創刊
3 京子の死
4 終刊
四 正雄と啄木
1 日記の行方
2 「父」と「義父」の間
3 正雄と啄木
4 阿部たつをの「送辞」
五 ある消息

あとがき
附資料(作成・編集 長浜 功)
啄木関連人物一覧
啄木日記関連事項簡略年表
要参考文献・主要資料一覧

『啄木日記』公刊過程の真相  知られざる裏面の検証

長浜功/著247頁・A5判2段組 定価=2,700円+税

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投稿者: 社会評論社 サイト

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