|寄稿| 三密と収骨 (板橋春夫)

叢書・いのちの民俗学 特設ページ付録1

三 密 と 収 骨

板橋春夫


三密といえば、真言宗の開祖弘法大師の教えを指している。弘法大師の説く三密とは、身密・口密・意密をいう。密は密教の密なのである。身体を整えて言葉や発言を正しいものとすれば、自ずから心や考えは整うという仏教に関する修行のあり方を示していた。新型コロナウイルス感染症が拡大する中で、密閉・密集・密接の三つの密の頭文字をとった三密が防止キャンペーンで使われ出し、二〇二〇年の流行語大賞にもなった。真言宗の関係者にとっては、三密がまったく違った意味に使われ、かなり驚いたに違いない。

「生死」の関連でいうと、毎日、新聞のお悔やみ欄を覗けばコロナ禍の中で「家族葬」という文字が目に付くようになったのは誰でも知るところである。コロナ禍でごく近しい人の告別式に参列する機会があった。普段とは異なる、とても違和感のある告別式だった。通夜は限定された親族だけであり、遠方の身内はそもそも出かけられない事態が発生しているのである。

身近なところでは、コロナ禍の影響を蒙り、いとこの法事が中止になった。飲食時の感染を心配した喪家が、家族だけの法事にすると決めたのである。電話の向こうから予定してもらっていた法事に招待できない旨のお詫びがあった。私は香典袋を郵送することにした。すると、いとこの喪家から宅配便で返礼品が届けられたが、お礼の電話はなかった。新型コロナウイルス感染症が親しい人の接触や交流を消失させている。そうなのだ、何かが一気に加速している。

コロナに感染して亡くなった人の場合はどうなのだろうか。「北海道新聞」の四月四日のネット配信を見た。それによると、新型コロナウイルスに感染して死亡した人の収骨について、認めるか認めないかが自治体によって分かれているという。病院で亡くなると、遺体はそのまま火葬場へ向かい火葬される。遺族や親族は火葬場に向かうが、「場内での感染防止」を理由に、控え室を利用できず収骨も認められない、といった事態が発生しているらしい。

このような事案に苦慮した厚労省は、遺骨から感染することはないというガイドラインを策定したが、なんと、収骨にあたっては三密を回避する措置を講じることを強く求めたのであった。その結果、収骨を認める自治体と認めない自治体が出てしまったという。

三密を強調すると、収骨という大事な死者儀礼が実施できなくなってしまう。収骨は浄土真宗などでは元々あっさりしたものとは言え、多くの地域で骨壺に収める儀礼、すなわち収骨は大事にされてきた。それすらできない状況がコロナ禍で現出している。私にできることは、コロナ時代の生死をしっかり記録しておくことのように思える。

板橋春夫 (いたばし・はるお)民俗学者。博士(文学&歴史民俗資料学)。一九五四年 群馬県に生まれる。 現在、日本工業大学建築学部建築学科生活環境デザインコース教授。成城大学大学院文学研究科非常勤講師。


|紹介| 叢書・いのちの民俗学 板橋春夫著

投稿者: 社会評論社 サイト

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