全6巻 各巻定価=本体2,400円+税
「フェティシズム」「歴史知」「多様化史観」「身体知」を連結キーワードとして切り拓かれる社会思想史の新たな知平とリコンストラクション
〔フェティシズム〕とは、神と人間(信徒)との間の<創造・被創造>および両者の地位をめぐる転倒現象さしている。この語をやがてマルクスは経済学に応用し、デユルケムは社会学に、フロイトは精神分析学に、それぞれ応用するようになった。そのように多用な使用方法のあるフェティシズムを、本集成では先史の精神(母権・神話・儀礼など)から現代思想(ロボティズム・近代の超克・アソシアシオン・フクシマ以後の科学論ほか)までの分析に応用している。
〔歴史知〕については、例えば円を考えてみる。これは、現実世界にはけっして存在しない。完璧な円や球といった図形や造形は理論的に想定されたものでしかない。その際、理論上のバーチャルな円についての認知・認識を科学知・理論知と仮定し、現実世界に存在する〈まるいもの〉――太陽や満月、瞳など――についての認知・認識を生活知・現実知と仮定する。そのような設定においては、生活知・現実知の中から科学知・理論知が成立していることがわかる。つまり理論知や科学知は転倒を前提にしている。その転倒現象を一度もとに戻して現象世界を交互的に見極めようというのが、歴史知の立場である。歴史知的な現実は科学知的な情報を介在させることによって意味ある変貌をとげる。
ところで、自然界ないし生態系においては、循環(自然は四季や捕食被食を通じて循環する)と進化(自然は多様に変化する)とは連動している。それと同様、人類史にあっても循環(社会は歴史知的意識を通じて過去と現代とを循環する)と進化(文化は多様に変化する)は連動している。そこで、自然の子である人間たちの営みにも自然界の摂理を見通すことができれば、その先に私たちは、これまでに有力であった歴史観――循環史観と進歩史観――を相互的に連合させることができるであろう。〔多様化史観〕の提唱である。
〔身体知〕に関しては、本選集6巻連結の先に見えている新知平を示す。それは、ホモ・ファベル(道具を有する存在)からホモ・アルターエゴ(他我を有する存在)への人間存在の転換といえる。生産物(ロボットやコンピュータ)を道具と見なしている主客二元的次元から、それらを〔もう一人の対なる自己(アルターエゴ)〕と見なす間主観的あるいは共同主観的知平の再構築である。
ヒトは知性(サピエンス)でもって道具(ファベル)をつくったのでなく、道具=社会的自然をつくることで知性を獲得しヒトは人間となった。道具=社会的自然は、本来は人間のアルターエゴとして間主観的に存在したが、やがて転倒が起こって人間の生存手段に貶められた。だが、いまや道具=社会的自然はコンピュータを備えて人間のパートナーに返り咲く。けれどもそれは人間=身体の拡張としてあるのではない。人間=身体を介して自然=環境が道具に吸収され凝固・結晶することによって生じるのである。身体の変容は、身体が道具を用いて環境へ拡張することによって生じるのではなく、環境が道具を通じて人間身体に吸収され凝固・結晶することによって生じるのである。かように、道具=社会的自然は人間=身体のアルターエゴなのである。
「刊行にあたって」石塚正英
第1巻
フェティシズム―通奏低音
〔フェティシズム〕とは、神と人間(信徒)との間の〈創造・被創造〉および両者の地位をめぐる転倒現象をさしている。この語をやがてマルクスは経済学に応用し、デュルケムは社会学に、フロイトは精神分析学に、それぞれ応用するようになった。そのように多様な使用方法のあるフェティシズムを、本選集では先史の精神(母権・神話・儀礼など)から現代思想(ロボティズム・近代の超克・アソシアシオン・フクシマ以後の科学論ほか)までの分析に応用している。 Amazon
第2巻
歴史知と多様化史観―関係論的
自然界において循環(自然は四季や捕食被食を通じて循環する)と進化(自然は多様に変化する)とは連動している。人類史にあっても循環(社会は歴史知的意識を通じて過去と現代とを循環する)と進化(文化は多様に変化する)は連動している。人間たちの営みにも自然界の摂理を見通すことができれば、その先に私たちは、これまでに有力であった歴史観―循環史観と進歩史観―を相互的に連合させることができる。歴史知的視座である。 Amazon
第3巻
身体知と感性知―アンサンブル
ここで議論される〔身体知〕は、本選集6巻連結の先に見えている新知平を示す。それは、ホモ・ファベル(道具を有する存在)からホモ・アルターエゴ(他我を有する存在)への人間存在の転換といえる。生産物(ロボットやコンピュータ)を道具と見なしている主客二元的次元から、それらを〔もう一人の対なる自己(アルターエゴ)〕と見なす間主観的あるいは共同主観的知平の再構築である。 Amazon
第4巻
母権・神話・儀礼―ドローメノン(神態的所作)
儀礼とは、人間(自然的存在=動物)が人間的存在になるための必須条件なのである。自然的存在(モノ)を神的存在にすることにより、人間(モノないし動物)は人間(神的存在をつくりだす存在)となった。これまで宗教学や哲学、経済学や心理学などで通説だった解釈、物神崇拝は人間が人間以下のモノにひれ伏す幼稚な観念、という解釈は間違っている。事態はむしろ逆である。神話は神を殺す。 Amazon
第5巻
アソシアシオンの世界多様化―クレオリゼーション
20世紀が「一民族一国家」(単一性・グローバリゼーション)という垂直的統合化だったのに対して、脱近代の21世紀は「諸個人連合体」(多様性・クレオリゼーション)という水平的連合化へと進む。この議論においては「市民主権」が意味をもつ。それは政治的な意味での権利や権力に留まるのでなく、社会的な意味での生活権や自然権へと質的な転換を遂げていくべきものなのである。 Amazon
第6巻
近代の超克―あるいは近代の横超
人類史は時間環境軸における過去と現在の相互往還(歴史知的座標軸)の過程、および、空間環境軸における我と汝の相互往還(身体知的座標軸)の過程にある。近代文化=欧米文化は非近代文化=非欧米文化との連合から生まれた通時的および共時的なハイブリッドである。20世紀末に行き詰まった欧米文化の突破口は、おそらく非欧米文化との通時的・共時的連合であろう。近代の横超である。 Amazon