ヴィル・ベルトルト/著『ヒトラー暗殺計画・42』田村光彰・志村恵・中祢勝美 ・中祢美智子・佐藤文彦・江藤深/訳

2015年8月刊『ヒトラー暗殺計画・42』をご紹介します。


「ホロコースト」に代表される戦争犯罪を国家的に遂行したナチス・ドイツの絶滅政策の対象となったのは、ユダヤ人に限られない。ヒトラー政権下、抵抗運動が粘り強く展開され、また戦後は、真摯な謝罪に向けて被害当事者への戦後補償も取り組まれた。戦争犯罪を直視することではじめて、歴史の和解の道が開ける。

いくつかの偶然が、ヒトラーの命を永らえてしまった。ナチス政権下で試みられた四二件の暗殺事件。「褐色のゴロツキ」=ヒトラーを暗殺しようとした人々には、著名な人々も無名な人々も、軍人や市民も、狂信的な人々や空想家も、聖職者や大学教授も、カトリックの信者も共産主義者も、素人や冒険家も、また実力行動派の人も夢想家もいた。外交官が大胆で向こう見ずな人間に変身し、平和主義者が軍事力を用い、迫害されていた人々が、今度は逆に独裁者の迫害に狙いを定め始めた。


序文(抜粋)
田村光彰/訳


アドルフ・ヒトラーが断固たる行動に出た敵に殺害されたという日はカレンダーにはない。今日になってもまだ一般に知られていないことがある。独裁者ヒトラーを暗殺する試みは数多くあったが、彼はこれらを生き延びた。それは前例のない、信じられないほどの偶然が重なったからである。暗殺について研究する人は、今日にいたってもなお伝説や自己弁護と矛盾だらけの主張をよく精査しなければならない。そうすることにより驚愕の事実を突き止めることができるのである。

当時、この男は最強の護衛陣で守られていたが、その警備体制はずさんであった。

親衛隊の護衛陣やヒトラー総統の警護に当たる警察官は、ナチス党員のぞんざいな指令に従う場合が少なくなかった。護衛陣が警護をしている時ですら、独裁者に近づこうという一途な思いがあれば、それは可能であった。通行証を持っている、いないに関わらず、またヒトラーの周りに設置された立ち入り禁止区域の中であろうと外であろうと。いつでもヒトラーにお目通りができる人物も、またわずか一度だけ報告をするために彼のいる本部に呼びつけられた者も、一九四四年七月二〇日の暗殺未遂事件までは、武器類は誰の目にも明らかなように、常時携行したままであった。ただ、例外としては、お目通りをするための控えの間では、銃とともに剣帯は外さなければならなかった。にもかかわらず今日よく浴びせられる非難に次のような言葉がある。ヒトラーへの反逆者たちには自分の命をかける勇気が欠けていた、と。これは誤りである。暗殺を試みた多くの人々には、軍の出動ならぬ〈自殺出動〉を覚悟していた人もいたし、ヒトラーもろとも自らをも吹き飛ばそうとした人もいた。

ヒトラーは、初期の「闘争時代」の頃には、自分の敵を誹謗し、自画自賛の宣伝文句を駆使して自らの役割を吹聴し、かつて共に内戦を闘った同志たちの武闘路線から身を引くために、繰り返し自身で暗殺計画を演出し、その被害者であることを装った。次に、首相に就任してからは、実行に移された暗殺計画はすべて秘密にし、「ドイツ帝国の機密事項」とした。こうした暗殺計画は、首相に就任した第一日目から最後の日に至るまで続いていた。ドイツ人は、いわゆる「地上でドイツ人が知っている最も高貴な人」(ドイツ帝国宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス博士)を一丸となって支えていたのだという。さらに水も漏らさぬ監視・治安国家が、あらゆる「犯罪」を除去してきたのだと強弁してきた。その結果、秘密が漏れ、もみ消されなかったもののみが世に知られた。

一九三九年一一月八日、ミュンヒェンの『ビュルガーブロイケラー』(ビアホール)での暗殺(未遂)事件は、もう一つの一九四四年七月二〇日、東プロイセンのヒトラーの司令部・ヴォルフスシャンツェでの爆弾事件と同様に秘密にされることはほとんどなかった。したがって宣伝省は、ビアホール事件では犯人像は外国から操られた黒幕であると言ったり、「どん欲で良心のかけらもない小さな犯罪者グループの依頼による卑劣な犯罪者の行動」であると発表した。

ヒトラーの暗殺事件を具体的な件数を挙げて論じることは難しい。なぜならば、中にはそのための資料が欠けている場合もあり、また目撃証人や生存者の場合、無理からぬことではあるが、こうあってほしいという願望と実際の行動との境界が時として曖昧になっていることもあるからである。本書が採りあげている四二件の、総統を排除しようとする試みは、その顛末を論証できるものだけに限られ、目撃証人、生存者、遺族の証言により、また警察側資料や著名な歴史家の研究により裏付けられている。その際、筆者は歴史的史料の欠陥を思弁や空想で埋め合わせようとするいかなる誘惑にも囚われてはいない。

ヒトラーへの反逆者たちが考えだし、相談し合い、実際に試し、現場に持ち込まれ、点火されたものすべてを一つずつ数え上げれば、暗殺事件の数はかなり多くなるであろう。(以下、本書)


ヴィル・ベルトルト/著
ヒトラー暗殺計画・42

原題 Die 42 Attentate auf Adolf Hitler

田村光彰・志村恵・中祢勝美 ・中祢美智子・佐藤文彦・江藤深/訳

四六判並製・399頁 定価=本体2800円+税

ヒトラー暗殺計画・42

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[著者紹介]ヴィル・ベルトルト Will Berthold :1924年 ドイツのバンベルク市生まれ。1942年 ヒトラー政権下で徴兵され、国防軍兵士となる。1945年 連合軍の捕虜となる。1945~1951年『南ドイツ新聞』編集部に勤務、ニュルンベルク国際軍事法廷の記事を書き、かたわら大学で新聞学と文学史を学ぶ。旺盛な執筆活動で知られ、ルポルタージュ、実用書、映画のシナリオ、テレビのドキュメントをも手がけ、ペンネームで小説を数多く出版している。とりわけナチス時代を得意とする。

第1章 初期の試み
第2章 大虐殺の夜
第3章 左右両派からの暗殺者
第4章 独裁者と危険
第5章 首相官邸をねらった突撃小隊
第6章 エキスパートとアマチュア
第7章 誕生日、あわやの謀殺
第8章 一三分が世界史を演じる
第9章 ダイナミズム、ダイナマイト無しに
第10章 虎視眈々と狙う任務の遂行者
第11章 西部で立案、東部で実行
第12章 総統専用機に爆弾
第13章 犯行は兵器庫で
第14章 反撃
第15章 ワルキューレ作戦
第16章 おわりに



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ナチス・ドイツの強制労働と戦後処理 国際関係における真相の解明と「記憶・責任・未来」基金

ナチス・ドイツの強制労働と戦後処理
─国際関係における真相の解明と「記憶・責任・未来」基金

田村 光彰 (著)

A5判上製279ページ
本体3400円+税
2006年6月刊

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投稿者: 社会評論社 サイト

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