|刊行情報| マルクスと《価値の目印》という誤謬  井上康・崎山政毅/著

書評掲載

・図書新聞 2021年11月27日付
清水真志氏評「『資本論』第1部という迷宮の新たな攻略法を提案する――「価値の目印」という発想にこそ、マルクスの蓄積論の破綻を招いた元凶があると見定めて、これに執拗な批判を加える」

マルクスもエンゲルスも含め、150年以上誰も指摘することがなかった『資本論』第一部蓄積論の誤謬と混乱を正す、『資本論』研究者必読の画期的労作!

資本の蓄積過程論(以下、蓄積論と略)は、冒頭商品論とならんで『資本論』第一部の理論空間をつくりあげている極である。しかしマルクスは、蓄積論において、大いなる誤りを犯し、混乱をきたした叙述をおこなっている。

それは蓄積論の冒頭部分におかれた単純再生産論に顕著である。

マルクスは単純再生産論において、1,000ポンド・スターリングの「元の資本」によって年々生産される剰余価値を200ポンド・スターリングと設定している。そして「この剰余価値(200ポンド・スターリング)が年々消費されるとすれば、同じ過程が5年間繰り返されたのちには」最初の1,000ポンド・スターリングに等しくなって、資本家の「元の資本」1,000ポンド・スターリングは、他人の不払労働にもとづいて生産された剰余価値にすべて取って代わられる、と主張する。だが、「元の資本」1,000ポンド・スターリングを投下して剰余価値200を含む1,200ポンド・スターリングが得られたとしても、その1,200から剰余価値200のみを、あたかも目印がついているかのように選り分けて、「元の資本」に充当することは不可能である。

なぜなら、マルクス自身が冒頭商品論において力説しているように、価値は究極的に社会的かつ抽象的なものであり、年々生産の結果としての1,200という総価値から剰余価値200のみを取り出すことは、天地が覆ろうとできないからである。じつのところマルクスは、自ら徹底的に批判したN. W.シーニアの「最後の一時間」とまったく同じ理屈で、剰余価値のみを取り出しているのだ!

著者たちは、これを《価値の目印》論と名付けた。マルクスは、《価値の目印》論にがんじがらめと評してよいほどに束縛されており、単純再生産論のみならず、『資本論』初版刊行以来これまで第一部における唯物弁証法の最上の範例とされてきた、「商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への転換」(いわゆる「領有法則の転回」)にいたるまで、同じ過誤を何度も繰り返している。じっさいには、弁証法的「転回」などありえない。

蓄積論が明らかにすべき主要課題の一つである、資本家への賃労働者の経済的隷属(「隠された奴隷制」)という主張の正しさと、その「論証過程」にみられる無残なまでの理論的破綻は、際立った対照を示してあまりある。

さらに蓄積論には大きな問題が存している。

冒頭商品論で展開された商品(富-価値―商品というトリアーデの要)にたいするラディカルな批判は、蓄積論において後景にしりぞき、資本主義的私的所有に問題が切り縮められているのだ。『資本論』読みが必ずや昂奮するであろう、「資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る。収奪者が収奪される」という本源的蓄積論のクライマックスである一節は、じつのところ、商品―貨幣―資本という物象的諸関係を超え出て「自然必然の国」から「自由の、ほんとうの世界」へといたる途の提示から、遥かに遠い。

本書『マルクスと《価値の目印》という誤謬』はこうした問題点を網羅的かつ体系的に再考・批判することをつうじて、マルクス蓄積論における誤謬と叙述の混乱を根底的にただし、蓄積論にあらたな理論次元を拓くものにほかならない。

『マルクスと商品語』(小社刊、2017年)で『資本論』研究に新たな1ページをつけくわえた著者たちによる、新たな、そして必読の一冊である。


・主要目次

第Ⅰ部 蓄積論はどのように叙述されるべきか

第Ⅰ章  『資本論』における蓄積論の位置と課題

第Ⅱ章 再生産過程論におけるマルクスの混乱と誤謬

第Ⅲ章 『資本論』蓄積論の成立過程からみた混乱と誤謬

第Ⅳ章 数式を用いた再生産過程の一般化モデル

第Ⅴ章  『資本論』フランス語版の蓄積論にたいするわれわれの評価

第Ⅵ章 「領有法則の転回」論への批判

第Ⅶ章 資本の蓄積過程の一方の側面である本源的蓄積過程について

第Ⅷ章 〈目印〉論という謬論の根深さについて

第Ⅸ章 〈富−価値−商品〉止揚のための諸条件はいかに生み出され成熟するか

第Ⅱ部 『マルクスと商品語』補論と展開


第Ⅰ章 『資本論』冒頭商品論の、出だし部分と価値形態論における諸商品の等置式の直接対比的考察

第Ⅱ章 なぜ商品の社会性は価値として現われるのか――価値とは何か

第Ⅲ章 『マルクスと商品語』の一論述への補足的註解

第Ⅳ章 〈可算無限−非可算無限〉という概念対について


井上康[イノウエ・ヤスシ]
1948年生。京都大学工学部・教育学部卒、同大学院教育学研究科博士後期課程退学。予備校講師、大学非常勤講師など。

崎山政毅[サキヤマ・マサキ]
1961年生。京都大学理学部卒、同大学院農学研究科後期博士課程退学。立命館大学教授。

マルクスと《価値の目印》という誤謬
井上康・崎山政毅/著
定価=本体4000円+税 ISBN978-4-7845-1878-4 A5判上製400頁
2021年5月31日発売


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投稿者: 社会評論社 サイト

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