|刊行情報| 歴史知のアネクドータ 武士神道・正倉院籍帳など 石塚正英/著

様々な地域と領域で〝価値転倒〟が起きている。最たるは、二度にわたる世界大戦の反省に立ちながらも再び対立へ逆戻りしている国際社会。本書は〝価値転倒〟をモティーフにした研究遍歴を通し、歴史が創った思想と現代をつなぐ思念の意義を伝える学問論。

 

—はしがき(全文)—

ジェネレーション・ギャップという言葉がある。世代間の断絶・隔絶という意味をもつ言葉である。これは、もっともありふれた使用方法としては、一定の年齢層、例えば一〇代の考えることは五〇代にはわからない、などというような意味合いで使う。けれども、ジェネレーション・ギャップは、単なる年齢的な差異以外のケースでも感じることがある。それは、ある世代なり集団なりがある重大な事件や社会現象を共通に体験した場合に、それを体験しなかった世代・集団との間に感じるものだ。ともに赤紙令状で召集され戦地で生死をともにした「戦友」「戦中派」、敗戦時に少年時代をすごした「焼け跡派」、一九六〇年六月に国会議事堂周辺をデモしたりした「安保世代」「全学連」、二〇一一年三月に東日本大震災で被災した「三・一一」世代。そのような世代は、共通の体験をもつ者として、往々、いくつになっても阿吽の呼吸ができたりする。その画期は、彼ら固有の世代、いわば彼らにとっての現代史の開始を告げている。けれども、共通の体験としての一時代から少しでもずれた人々には関心が向かない、理解しがたい、といったことが多々生じてくることも事実であろう。

そのような世代を自らに当てはめてみると、トランプが米大統領に就任した二〇一七年はもしかして、トランプ派あるいはアンチ・トランプ派というような括りの世代形成の始まりかもしれないと思った。当時(二〇一七・一二・三一)の『毎日新聞』社説を見ると、「トランプ政治元年」とか「国際政治の軸足が動いた」とかの見出しが読まれ、トランプ著『グレート・アゲイン』から次の一節が引用されている。「米国は必要なら本当に軍事力を使う。そう人々に知らしめれば、米国の待遇は変わる。尊敬をもって処遇されるようになる」。

アメリカをふたたび偉大にするという趣旨の“American First”をスローガンに掲げたドナルド・トランプは、共和党有力者が何といおうと現状に不満を抱く有権者から支持を得て大統領選を制し、二〇一七年一月二〇日、第四五代アメリカ合衆国大統領に就任した。以後も彼の言動は、一貫して、国民に対するポピュリズムを煽った、あるいは国民が求めるポピュリズムに応えたものであるといえよう。そこに私は、ナショナルな政党政治の終焉とトランスナショナルな結社運動の浸透を見通している。かつてファシズムの時代には一党独裁という方向で政党の解体が生じた。現在は、生活様式や価値観の多様化、ボーダーレス化を通じて、国民代表という政党の解体が現象していると分析できるだろう。

トランプ以後の二〇二二年二月、今度はロシアのプーチンが、国内全土を情報統制下におきつつ、隣国ウクライナに軍事侵攻し、核攻撃も辞さない、とまで言い放った。ウクライナは歴史的に見て、けっしてロシア人の土地ではない。古代ウクライナ地方に建国されたキーウ(キエフ)公国は「ルーシ」という民族の国(キーウ・ルーシ)だった。その民族名の意味する内容は、一〇~一二世紀にかけてドニプロー(ドニエプル)水系でノヴゴロド公国やキーウ公国をたてたノルマン系民族を指した。スラヴ系とは違う。とにかく「ルーシ」「ルテニア」「ロシア」などは、のちのスラヴ世界における一地方(土地・人・文化)を指すに過ぎなかったのだが、やがて一八世紀以降東スラヴ世界を統合する「種族的・民族的意味」=ネーション・ステート「ロシア」の意味内容で統合されるに至ったのである。一九世紀初ロシアに登場した統合理念は「スラヴォフィル(スラヴ愛国主義)」と「ザパトニキ(西欧主義)」だったが、それはともに近代的な思想・思潮に含まれる。私が約四〇年前から問題にしてきたのは、ドニプロー水系で古代から中世にかけて存在した「ルーシ」たちである。

彼らの愛郷思想を、私は「ルッソフィル(Russophil)」(ルーシ愛)と命名した。二〇二二年二月からのロシアによるウクライナ侵攻を重ね合わせると、いわば「キーウ愛郷思想」である。ここに記した「郷」は国家的なナショナリズムとは類型が違う。郷土的な朋友思想で、私は「パトリオフィル(patriophil)」と呼んでいる。国家(都市)でなく社会(共同体)を束ねる思潮であり、それは先史・古代に起因する。近代における朋友思想は、一八世紀的な友愛と自由・平等(普遍)から、一九世紀的な個性とナショナリズム(個別)へと転変した。二度の大戦を経験した二〇世紀は、その反省の上に立って普遍と個別の綜合を目指していたのだが、二一世紀に至ってむしろ対立へと逆戻りし、武断派であるトランプ・プーチンの出番となった。

そのような現状を憂える私は、ジェネレーション・ギャップよりもヴァリュー・ギャップを強く感じる。多様性といえば聞こえはいいが、ようするに価値観の断絶・隔絶、あるいはその転倒・転変が頻発しているのである。現代はいわば、様々な地域・領域における価値転倒の社会なのである。本書は、そのような研究テーマをもって執筆活動を続けている私の論文集成である。学術論文もあればエッセイもある。書き言葉もあれば話し言葉もある。テーマも様々である。いずれの章節においても、どこかしらに、何かしらの〔価値転倒〕が見え隠れしている。また、これまでにもしばしば言及してきた私なりの〔多様化史観〕は、共時的・空間的な場に加え、通時的・時系列的なイメージが備わっていたが、後者は、直近三部作の副題「文明を支える原初性」の通り、いっそう強まった。最終章は、私の研究遍歴を振り返る回想録である。書名のアネクドータはドイツ語表記だが、ギリシア語のアネクドトス(ανέκδοτος、anekdotos)を語原としている。私は「逸話」「落穂ひろい」の意味に使っている。

石塚正英

 


目次

はしがき

第一部 探究と叙述  Forschung & Darstellung

第1章 武士神道と武士道の類型的相違
第一節 先史社会の神観念
第二節 自然神道から武士神道へ
第三節 武家の家訓から商家・農家の家訓へ
第四節 武士神道から武士道へ

第2章 正倉院籍帳に読まれる家父長像の歴史知的二類型
第一節 共同体における先史と文明の二類型
第二節 家父長制組織の二類型
第三節 パトリオフィル

第3章 幸徳秋水『基督抹殺論』の中のヘーゲル左派
第一節 『基督抹殺論』の中のヘーゲル左派―シュトラウス
第二節 『基督抹殺論』の中のヘーゲル左派―ブルーノ・バウアー
第三節 『基督抹殺論』の中の十字架崇拝

第4章 超自然は文明固有の概念である ―フレイザー『サイキス・タスク』批評
第一節 超自然
第二節 政府
第三節 所有
第四節 婚姻

第5章 国家の興亡に立ち会った歴史家たち ―ロシアのウクライナ侵攻に鑑みて
第一節 歴史家の任務
第二節 興亡に対する歴史家の態度
第三節 イェレミヤの神観念
第四節 歴史家ポリビオス
第五節 ローマの運命

第6章 啓蒙期歴史学とルソーの叙述 ―歴史知的考察
第一節 啓蒙期の歴史学と啓蒙史学
第二節 学問研究とその動機について
第三節 人生論的史学思想
第四節 「自然へ還れ」の歴史知的考察

第7章 シュタインの自治国家構想 ―not国家連邦but自治連邦
第一節 社会・人格・国家
第二節 労働に関する文明論的立論
第三節 自治国家による近代の再編意欲

第二部 研究の使命  not Job but Mission

第8章 学徒の決意と権威への反抗
第一節 意識の共通性を発見し連帯を勝ち取ろう!!
第二節 孤独の中の自由な選択│発行にあたって
第三節 わが幻の学位請求論文によせて

第9章 研究活動の実践開始
第一節 明治維新と農業
第二節 ビスマルクの外交―普墺戦争

第10章 フィールドワークとデスクワーク
第一節 頸城野の石仏探究記︱一九九〇年代を中心に
第二節 飛鳥美人画を救出した石工左野勝司の矜持
第三節 専門家にはじつに頼りない人がいるものだ!
第四節 松尾芭蕉の越後高田宿泊先と追善碑〔はせを翁〕

第三部 時系列の学問共同体  From Senior to Junior

第11章 歴史学の酒井三郎
第一節 文検西洋史研究法―酒井三郎
第二節 ウィラー=ベネット著・酒井三郎訳『悲劇の序幕─ミュンヘン協定と宥和政策』
第三節 立正西洋史の井戸掘り教授・酒井三郎博士

第12章 民族学の布村一夫
第一節 神話と共同体の人類史像―布村一夫著作との出会い
第二節 日本古代の家族史を解明する―モーガン学者布村一夫の仕事
第三節 学問の道はどう歩むべきか―布村一夫先生追悼
第四節 フェティシュを投げ棄てる布村一夫―生誕一〇〇年を記念して

第13章 哲学の大井正
第一節〔人間のなかの神〕を考える―出隆と大井正と
第二節〔人間のなかの神〕を考える─大井正学匠に何を学んできたか
第三節 神と戦う哲学者―大井正生誕一〇〇年を記念して

第14章 社会思想の柴田隆行
第一節 自然法爾と横超についての石塚=柴田往復書簡(二〇〇六年八月)
第二節 母主義としてのマテリアリズム ―『石塚正英著作選 第四巻:母権・神話・儀礼』月報(柴田隆行)
第三節 井上円了シンポジウム(二〇一五年三月一五日開催)に先立っての柴田隆行からの事前メール
第四節 エゴ(利己主義)とはちがう、他の自我(もう一つの私)を通して初めて自らを実現しうるエゴ(私)
第五節 シュタインとフォイエルバッハの学徒 ―柴田隆行に思いを馳せる

第四部 たゆまぬ学び  The roads to learning

第15章 武蔵野の学徒帰りなんいざ頸城野へ
第一節 若き日の読書ノート
第二節 学問の道を歩むと決心する
第三節 社会思想史研究と教師生活
第四節 フェティシズム史学の樹立
第五節 頸城野での神仏虐待儀礼調査
第六節 『二〇歳の自己革命』刊行
第七節 『哲学・思想翻訳語事典』編集
第八節 歴史知研究会の創立
第九節 マルタ島でのフィールド調査
第一〇節 フレイザー『金枝篇』監訳のトピックス
第一一節 研究活動のさなかに羽化するアゲハ蝶たち
第一二節 NPO法人頸城野郷土資料室の創設
第一三節 水車発電の実験企画
第一四節 韓国でのフィールドワーク開始
第一五節 著作選『社会思想史の窓』全六巻の刊行
第一六節 ライフワーク『革命職人ヴァイトリング』刊行
第一七節 文明政治権力に抗うパトリオフィルの概念確立
第一八節 突発の硬膜下血腫を乗り越えて
第一九節 研究生活五〇年の歩み
第二〇節 「大鋸町ますや」とその住人たち一五〇年の記録
第二一節 ブログ「歴史知の百学連環」やSNSへの書き込み

初出一覧
あとがき

 


著者 石塚正英 いしづか・まさひで 東京電機大学名誉教授。NPO法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。著作『石塚正英著作選【社会思想史の窓】』全6巻『革命職人ヴァイトリング―コミューンからアソシエーションへ』『地域文化の沃土 頸城野往還』『マルクスの「フェティシズム・ノート」を読む―偉大なる、聖なる人間の発見』ほか多数

2022年9月28日刊
歴史知のアネクドータ 武士神道・正倉院籍帳など
石塚正英/著
定価=本体3200円+税 ISBN978-4-7845-1892-0 A5判上製368頁


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