新刊 藤井良彦/著『不登校とは何であったか?』(内容紹介)

子どもたちの登校拒否はどのように論じられてきたか? 新刊 藤井良彦/著『不登校とは何であったか? 心因性登校拒否、その社会病理化の論理』をご案内いたします。

『出版ニュース』2017・8月中旬号にBookGuide欄に本書が紹介されました!

不登校とは何であったか?
心因性登校拒否、その社会病理化の論理

藤井良彦/著

A5判 定価=本体2,600円+税
ISBN978-4-7845-1735-0
2017年5月25日刊 社会評論社

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目次

Ⅰ.1960年代前半における論調 

1.誤診例としての「心因性登校拒否」
2.鷲見論文(1960年)
3.神経症的登校拒否
4.「学校恐怖症現象」の現出
5.山本論文(1964年)
6.「登校拒否児童」の実態調査
7.「学校恐怖症」の疾病分類学
8.高木論文(1965年)

Ⅱ.1960年代後半における論調 

1.変り者同一性
2.日本臨床心理学会第1回大会
3.登校刺激?
4.力動主義の台頭
5.臨床心理判定員の論理
6.香川県における一調査
7.児童相談所において

Ⅲ.1970年代における論調 

1.教育相談員の論理
2.神経症的通学?
3.治療教育学の立場から
4.金沢大会以降
5.「不登校」が内蔵する教育問題?
6.登校拒否は疾病か?
7.学校原因論
8.新たなる不登校現象?
9.第19回日本児童精神医学会総会

Ⅳ.1980年代における論調 

1.稲村事件
2.登校拒否心性の時代を超えた本質?
3.第24回日本児童青年精神医学会総会
4.弱い者いじめの精神医学
5.「不登校」の状態像?
6.登校拒否像の変遷?
7.唯物論研究協会において
8.「科学的教育学」は今

V.1990年代における論調 

1.あも
2.社会学的な現象主義
3.変容の物語
4.日本児童青年精神医学会第34回総会
5.登校拒否の「予後」をめぐって
6.登校拒否運動
7.医原性登校拒否
8.病理の構図から抜け出す道はどこにあるのか?
9.なぜ、学校に行ったのだろうか?
10.「認識の転換」は起こったのか?


あとがきより

登校拒否は、或る時期から学歴社会との関連において論じられるようになった。そうした論調と共に、かつての心因性登校拒否が社会病理化されていった様については本書で述べた通りである。

しかし、そうした論理が時代ごとに変わらざるを得なかったことは理の当然である。なぜなら、一口に学歴社会と言っても、そのあり様は時代ごとに異なるからである。

社会問題とされるものが、その時代の社会性を反映していることは当たり前であって、多くの論者が「不登校」問題なるものを社会的な観点から論じていることは滑稽ですらある。彼らは社会病理や学校病理を持ち出すことで個人病理としての「学校恐怖症」を社会現象としての「不登校」にすり替えたのである。彼らは「不登校」が増えていると騒ぎ、その対策、援助(治療)の必要性を訴える。

筆者としては、むしろこうした傾向を一挙に「現象」として括りたい。

登校拒否とされる事柄が、「学校恐怖症」という神経症の一つとして診断されたことには確かに問題もあろう。筆者としても、世に云う「不登校」の一人として「登校拒否は病気じゃない」と言いたいところではある。しかし、その「成因」を社会や学校に求めたところで、登校拒否を脱病理化したことにはならない。

芸能人の矢部美穂が『学校拒否』(光進社、1998年)という本を書いているが、「登校拒否」はschool refusalという用語の訳語であるから、直訳すればこの「学校拒否」という表現が正しいことになる。

「学校恐怖症」者は学校を拒否するのである。

では、その学校とは何か?と問えば、それは公教育としての学校教育である。

法制度が変わることはあったが、「義務教育」がそれに「権利」を加えながらも、基本的には明治に入って欧米から輸入された教育制度であり続けたことに変わりはない。「国民の教育権」論のごとく、日本国憲法の第26条をどう解釈しようとも、それが公教育としての教育制度であることは動かないのである。学校をめぐる問題が社会問題となることは仕方のないことである。

しかし、六・三制という現行の義務教育制度がアメリカの教育体制に倣ったものであること、そして本書で述べてきたような「学校恐怖症」をめぐる論議がまたアメリカの児童精神医学の枠組みを基礎としてなされてきたものであることを考えれば、同じ社会を問うにしても、それは「戦後」という日本の国体を問うということでなければならないと思うのである。

つまり、「戦後民主主義教育」というものが問われなくてはならないと思うのだ。

学校の外にいる子供たちの存在を、「不登校」と「不」の一字を冠した呼び名で呼びならわしながらも、あたかもそれが価値的に中立であるかのごとくうそぶき、それも「どの子どもにも起こりうるもの」と言ってはばかりもしないこの時代の感性は、しかしそれこそが平等を事とした戦後民主主義教育の達成であったと言えば言い過ぎであろうか?

私は、「不登校の子ども」にこそ戦後教育の理想を見るのである。

藤井良彦
 著者紹介→ researchmap
著者ウェブサイト→ モーゼス・メンデルスゾーンの形而上学


不登校とは何であったか? 心因性登校拒否、その社会病理化の論理不登校とは何であったか?
心因性登校拒否、その社会病理化の論理

藤井良彦/著
A5判 定価=本体2,600円+税
ISBN978-4-7845-1735-0
2017年5月25日刊 社会評論社

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投稿者: 社会評論社 特設サイト 目録準備室

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