精神医学における「心の研究」の前進のために ──紹介◆黒川新二/著『自閉症とこどもの心の研究』

黒川新二/著『自閉症とこどもの心の研究』のご案内。まえがきと目次詳細をお伝えします。本書は2016年に刊行して以後、ご好評を得ています。


まえがき


 

自閉症はどういう障害か。

症状の整理や思い付き的解釈を超えて、自閉症を少し深く検討して行くと、意外な感触がある。意外な感触というのは、中身を知ろうとしてタマネギの皮を剥いているような感触である。病理的と言われた諸現象が、よく検討すれば、どれも、発達途上の人間の心に起きるありふれた現象にすぎないことが分かって行く。そして、ありふれた現象にすぎないと分かったものを順に除外していくと、最後には何も残らない。

タマネギには中身がなく、自閉症という障害は幻影なのだろうか。しかし、検討過程から離れて事態を見直すと、自閉症の人たちにとって、自閉症の人たちと共に生きている人たちにとって、自閉症は、人生に重い負荷を与えている。だから、自閉症は幻影ではない。

自閉症の探求は、なぜ、タマネギの皮剥き作業のようになるのだろうか。その理由は、自閉症の核心には、〝人間の精神生活は、他者との精神的交通(注 下記参照)によって形成され、維持されなければならない〟ということがら、つまり人間の精神にとって普遍的なことがらしか存在していないからである。自閉症だけが持つ特別な何かが核心にあるはずだと考えて皮剥き作業を続けると、何も得られずに終わる。

自閉症にせよ、他の発達の障害にせよ、障害の本質を知るために必要なのは、事実をただ収集することではない。それ以上に必要なのは、論理力である。本書は、障害の本質を把握する論理を知っていただくための小論集である。

研究が進むと、自閉症とは何かという問いが、人間の心とは何か、どのような過程をたどって形作られるのかという問いに変わっていく。この変化が、自閉症の研究の進歩である。自閉症の研究は、二〇世紀にはそのような道を進んでいたが、しかし、その後、道を変えた。二〇世紀末から始まった精神医学のある変化が、自閉症の研究を別の道に向かわせたのである。その変化がどういうものであり、自閉症の研究をどのような道に向かわせたのか、本書に収めた小論のいくつかで触れている。自閉症と心の研究が現在どこにいるのかを知りたい人は、関連ある部分をお読みいただくと、知ることができる。

二一世紀は脳の科学の時代になると言われてきた。その期待は、半分は的中し、半分ははずれている。的中したのは、生体の活動を検査する医療工学の発展と生物現象の自然科学的研究の発展であり、これによって、活動中の脳の状態が観察できるような進歩があった。はずれたのは、心の研究の進展である。二一世紀の精神医学は、心の現象の研究をただ整理することですませて、背景にある心の過程の研究を避けている。人間の心の理解は停滞し、あるいは、後退しつつある。

心の研究が再び前進するのは、いつなのだろうか。その答を自分で作ることができる若い読者のために、この本を刊行した。拙さの残る小論集であるが、心の研究が再び前進するための踏み台になることができれば、望外の幸せである。

著者

(注)「精神的交通」ということばを本文中でもしばしば用いているので、ここで説明しておきたい。物質的生活では、交通は、対象化された労働が場所を移動するすべての場合を包摂する概念である。生産物は対象化された労働であり、生産物の移動、交換、消費は、すべて、交通である。このうち、生産物の消費は、対象化された労働をさらに人間自身に対象化し取り戻すことなので、この消費も、対象化された労働の場所の移動の一つととらえて、交通に含める。精神的生活では、事象に取り組んで得た認識が、精神的労働の生産物である。この認識が他の人間に伝達され、他の人間の精神生活に組み込まれることが精神的交通である。精神的交通は、対話のような直接のコミュニケーションも、古代壁画のような表現を介して当時の人間の認識が知られることも、物質的労働の生産物や道具を体験して、関与した人間の認識を追体験するような間接的な認識の伝達も、火傷をして泣く兄を見て弟がアイロンは熱くて危険だという認識を得ることも、すべてを包摂する概念である。コミュニケーションということばでは、人間の精神生活の発展に関与する認識の伝達のすべてを表し切れないので、「精神的交通」ということばを用いた。

 


目次

まえがき

第Ⅰ部 自閉症の研究

 

第1章 自閉症研究はどこをさまよったか ──ラターの迷走と言語観の混乱

一.はじめに──逆立ち理論とコペルニクス
二.言語障害や認知障害はなぜ起きるのか
三.ラターの自閉症の言語認知障害説
四.研究をつまずかせたもの──言語観の混乱
五.ラターの仮説の方向転換
六.おわりに──自閉症の基本障害という幻想

第2章 自閉症と発達障害の研究の過去と未来

一.発達障害ということばについて
二.日本の発達障害者支援法
三.障害の研究はどう始まったか──一九四〇年代から一九六〇年代まで
四.症状の背景に何があるか──一九七〇年代の研究
五.自閉症は何の能力の発達障害か──一九八○年代の研究
六.多様な精神活動に障害があるのはなぜか──一九九〇年代以後の研究
七.精神発達の障害の研究の目的地

第3章 障害とは何か ──精神遅滞の本質

一.はじめに
二.通常の精神遅滞論
三.マルクスとエンゲルスの人間観
四.精神遅滞の本質
五.生活の生産と精神遅滞
六.精神遅滞は関係を表す概念

第Ⅱ部 心の発達

第4章 身ぶりや指さしはどのような表現なのか

一.はじめに──表現とは何か
二.身ぶり表現にはどのようなものがあるか
三.身ぶり表現の構造
四.指さし表現は何を表現しているか
五.幼児の精神的交通の能力

第5章 乳幼児の精神発達のしくみ

一.はじめに──発達とは何か
二.精神活動の基本構造
三.出生から生後六ヵ月頃まで
四.月齢八ヵ月から一二ヵ月まで
五.月齢一二ヵ月から一八ヵ月まで
六.月齢二一ヵ月から三〇ヵ月頃まで
七.おわりに

第Ⅲ部 発達の理論

第6章 発達の理論はどんな問題をかかえているか ──一九世紀の哲学の遺残

一.はじめに
二.どんな発達理論が通用しているか
三.ピアジェの発達理論の背景とつまずき
四.ピアジェの「図式」と「構造」
五.学習心理学の人間観
六.人間の精神活動の特質
七.こどもの精神発達のプロセス

第7章 療育理論とこども観の後退 ──TEACCHプログラムの問題点

一.はじめに
二.TEACCHの療育理論
三.プラグマティズムと障害理論
四.行動主義と脳障害仮説
五.障害児観の後退
六.心を育てる観点の不在
七.おわりに

第Ⅳ部 精神医学と関連領域

第8章 精神医学と言語学 ──こどもの言語習得過程の研究

一.はじめに
二.幼児の言語をどう研究するか
三.構造言語学と変形生成文法──形式主義の方法の行き詰まり
四.形式主義から内容主義へ
五.おわりに──言語学はどこへ行くのか

第9章 精神医学からみた行動学 ──エソロジーは人間の現象を説明できるか

一.はじめに
二.行動を科学する二つの学派
三.行動主義心理学に対するエソロジーの優越性
四.エソロジーの人間論
五.行動のあり方と生活様式との関係
六.人間の行動をどう考えるか

第Ⅴ部 心の研究と私たちの時代

第10章 こどもの心と登校拒否

一.はじめに
二.学校にも原因があるのか
三.時代の変化と登校拒否
四.学校観のうつりかわり

第11章 人間の心の研究と三浦つとむの遺産

一.科学的な本質論と哲学的な擬似本質論
二.人間の認識の社会性と自閉症
三.心の研究と一九世紀の哲学


著者紹介

黒川新二 くろかわしんじ 1950年 北海道旭川市生まれ。1975年 北海道大学医学部を卒業し、神戸大学病院で児童精神医学を学んだ。その後、兵庫県立こども病院、北海道立精神衛生センター、市立札幌病院静療院に、児童精神科医師として勤務した。また、神戸大学教育学部、北海道教育大学札幌分校、北海道大学短期医療学部等で、非常勤講師として児童精神医学の講義を行った。2013年 黒川メンタルクリニックを開設し、自閉症の児童・青年・成人の診療を続けている。著書 『現代言語学批判』(共著、勁草書房)、『母性喪失』(共著、同朋舎出版)、『自閉症とそだちの科学』(日本評論社)など。


自閉症とこどもの心の研究自閉症とこどもの心の研究
黒川新二/著
定価=本体1800円+税 四六版並製 240頁

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投稿者: 社会評論社 特設サイト 目録準備室

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