|刊行情報| バロック的叛逆の社会思想 ニーチェ・フロイト・ブルクハルト批判  石塚正英/著

現代世界において先史文化、原初的文化は滅んでいない、過去と現在の応答や交互運動、その視座を研究に取り込む意義を伝える学問論〔文明を支える原初性〕第5作。文明的思想家への原初的批判を通して行われるリベラルアーツの破壊と再建をめざす。

生成の発端・始原あるいは存在としての人類文化、これを忘れて結果・成果としての現代ハイテク文化を過信してはならない——。


はしがき(全文)

大学の教壇に立って40年を越える。歴史学に始まり哲学、社会学、民俗学、神話学、そして身体科学に技術者倫理と、文理の境界領域で研究と教育に勤しんできた。専門は、と問われると、社会哲学と返答している。その間、リベラルアーツを陶冶するという教養教育を意識してきた。大学における教養教育の第一歩は、知性の根原的錬成・教養の価値転倒から開始するのである。

知性の根原的錬成・教養の価値転倒、それは2022年10月22日に開催された第97回歴史知研究会「現代社会を生き抜く教養教育」においてあらためて提起した論点でもある。倫理的あるいは社会的な教養教育の土台に位置する〔知の教養〕ないし〔知の錬成〕という構えである。教養とは、倫理観や社会観の問題である前に、知の土壌を耕す行為にかかわるのである。当日に私が意図していた主眼は、倫理や社会というコミュニケーションの領域でなく、自己にとって教養とは何か、それはどうあるべきか、という〔知の錬成〕に関わるものだった。その課題に即して〔情報(information)-知識(knowledge)-知性(intelligence)-叡智(wisdom)〕の深化と広がりを解説した。そこには、他者との関係で教養教育はどうあるべきかという問題と、知との関係で教養はどうあるべきかという問題との相対的な相違があったと思われる。本書の表題との関連で言えば、「バロック的叛逆」は知性の根原的錬成・教養の価値転倒と連動している。

ところで、リベラルアーツのラテン語にあたるアルテスリベラレスの語意を調べていて、少々気になる史実に眼が止まった。この語は、古代ギリシア・ローマ社会で、ポリス市民つまり政治的自由人が自由人にふさわしい学芸として、知識・教養として身につけるものを指すのである。ということは、不自由民である奴隷たちには百害あって一利なし、なのかもしれないと思ったのである。

さて、その語の「リベラル」とか「リベラレス」とかは「自由」という意味であるとして、「アーツ」とか「アルテス」とかは何を示すのだろうか。後者は複数形であり、単数では「アルス」となる。現代英語の「アート」であり、「技術」、「芸術」あるいは「工芸」というところであろう。技術は、古代ギリシアでは「テクネ」といい、労働する奴隷の持ち分だった。中世ヨーロッパのキリスト教社会においても、労働階層に関係し、地上の富を豊かにするだけのものとして軽視された。それが近現代に下れば、テクネの派生語である「テクノロジー」は社会生活を最先端へとリードする打ち出の小槌に大変身した。IT(Information Technology 情報技術)AI(Artificial Intelligence人工知能)である。

しかし、どう考えても、テクネは奴隷や下層民には圧倒的に不利益しかもたらさないような気がする。またテクネは、人間を取り囲む自然に対しても破壊的に作用するものでしかないような気がする。人間や自然は、テクネの対象なのではない。本来、テクネの目的のはずである。アルテスリベラレスは、ギリシア・ローマ時代であれば、奴隷制を前提にした自由人の教養でしかない。アリストテレスの奴隷観を知れば、彼は奴隷を倫理の対象に含めない教養人の典型である。私は、そのような教養観に叛旗を翻したのである。先史人や野生人を無視した教養など、教養ではない。だいたい、教養という語は、ドイツ語の“Ausbildung”という綴りで一目瞭然なように生成(Bildung)であり、およそ自然のままではない。私は、生成つまり人類文化の成果を否定しているのではない。生成の発端・始原あるいは存在としての人類文化、これを忘れて結果・成果としての現代ハイテク文化を過信してはならない、と警鐘を鳴らしたいのである。

本書の編集意図は、〔文明を支える原初性〕の討究である。そのフレーズを副題にするなどして、私は昨年から、社会評論社で合計4点の著作を上梓してきた。本書は、その5点目である。一連の研究の原点は1970年における革命職人ヴィルヘルム・ヴァイトリングへの接近であった。ヴァイトリングは、所有と盗みとの間に決定的な対立を設定しない。例えば少数者による土地の私有化、それは盗みである。それに対し万人による土地の本原的利用つまり共有、それは盗みではない。前者は文明に特徴的なプライベートな所有で、後者は先史・野生に特徴的なソーシャルな占有である。イエスは前者を攻撃して後者を実践した。そこからヴァイトリングは次の結論を導く。たんなる所有権の移動にすぎないプライベートな盗奪でなく、生産者に当然帰属すべき自然権としての占有を自己へと回復するという、ソーシャルな盗奪は、いつでも神の行為である。別の表現をとれば、先史の奪還である。こうして1840年代前半、最下層貧民による富者・権力者に対するゾツィアル・バンディット(社会的匪賊)が構想されたのだった。私有財産は神聖不可侵なりとのロック的ブルジョア的所有権を、二度と回復しえぬほど徹底的に破壊せよ! そう叫ぶヴァイトリングに心酔したロシアのアナキスト、それが総破壊の使徒ミハイル・バクーニンだった。この二人は思想における先史人であり、アルテスリベラレスを総破壊するべく19世紀ヨーロッパに登場した奇怪人・異形人つまりバロック派、バロキアンなのである。書名にある「バロック的叛逆」とは、文明的思想家ニーチェ・フロイト・ブルクハルトへの原初的批判を通して行われるアルテスリベラレスの破壊と再建でもあり得る。あるいは、フォイエルバッハ研究者の私自身が敢行する他我的行為でもあり得る。

石塚正英


バロック的叛逆の社会思想*目次

はしがき

第一部 バロック的叛逆

第1章 バロックという社会思想
はじめに―文化の2類型―
1.思想に独自の歴史はあるか
2.バロックという基層
3.古典古代による転倒
4.キリスト教による転倒
5.ルネサンスの往還
6.バロックの露出
むすびに―文明を支える原初性

第2章 野生的なまなざしの象形画家ジョアン・ミロ
はじめに
1.故郷カタルーニャの火祭りとアナキズム
2.シュルレアリスムに対する不即不離のスタンス
3.〔ミュトスの画題〕と〔ロゴスの画題〕
むすびに

第3章 ニーチェ哲学の価値転換(Umwerthung)と歴史知の価値転倒(Werthumkehr)
はじめに
1.価値転換と価値転倒の差異
2.人間は生成してきたもの
3.多くの家族が一氏族を形づくる?
4.理想・哲学(プラトン)という偶像
5.思想としての自然
6.神を愛し神を懲らしめ神々と遊ぶこと
7.石の中に像が眠っている
8.プルタルコス主義者ニーチェ
9.イエス(先史)とキリスト(文明)
10.善にして義なる者の二面性
11.ヘーゲル左派のエピゴーネン
12.人間・自然・権力
むすびに

第4章 フロイトにおける野生(Wildheit)の意味
はじめに
1.先史人(Primitive)と野生人(Wilden)
2.自然と超自然、超への願望
3.教養のない人々
4.無意識の意識・思考
5.夢・外魂・動物の夢
6.始母と原父とエディプス夢
7.トーテミズムの心理学的アクチュアリティー
むすびに

第5章 ブルクハルト史観の批評
はじめに
1.先史の度外視・無関心・滅亡論
2.先史文化無理解
3.文化の掠奪と神話の洗練
4.氏族共同体と都市国家
5.野蛮と奴隷
6.都市(Polis)と国家(Staat)
7.文化の価値転倒
8.歴史を貫通する通奏低音としてのフェティシズム
むすびに

第6章 幸徳秋水にとってのヘーゲル左派
はじめに
1.ヘーゲル左派のキリスト教批判
2.シュティルナーにおける「無」
3.幸徳秋水のキリスト教批判
むすびに

第二部 読書ノートという生き方

第7章 ヤスパース『歴史の起原と目標』読書ノート

第8章 読書ノートの時代
【01】フォイエルバッハ
【02】思想
【03】主体性
【04】認識
【05】共同体
【06】反アカデミズム・反知識人論
【07】反乱するメキシコ
【08】反抗の原初形態
【09】デクラセ概念
【10】ネグリチュード
【11】資本論序文
【12】近代化理論と歴史学
【13】近代世界システム
【14】第三の波
【15】フェティシュは打たれる
【16】「昭和十九年九月」付の意識
【17】ユウトピア
【18】セネカと先史の自由
【19】仏像を破壊して舎利を拾う
【20】近代日本の民間学
【21】無縁・アジール
【22】イメージとシンボル
【23】文字は殺し霊は生かす
【24】激情を爆発させる神々
【25】昔話の魔力
【26】昔話と伝説と
【27】正邪・善悪・美醜
【28】父権=現実と母権=神話
【29】愚民的学問のすすめ
【30】日本資本主義論争
【31】悪人正機と偶像破壊
【32】<負の近代主義>たるソ連型社会主義
【33】マルキ・ド・サド考―1―
【34】マルキ・ド・サド考―2―
【35】マルキ・ド・サド考―3―
【36】マルキ・ド・サド考―4―
【37】マルキ・ド・サド考―5―
【38】マルキ・ド・サド考―6―
【39】エンゲルスの家族理論
【40】国民・国家の歴史性・虚構性
【41】クレオル文化のアクチャリティー
【42】ロボットでユーリカ感動を!
【43】オオカミの伝説と信仰
【44】善悪の彼岸における<われ>
【45】子どもたちの世界・時間
【46】原初的諸民族の文化と宗教
【47】mater主義として のmaterialism
【48】死刑存廃論の系譜
【49】聖書翻訳上の相克
【50】性と文化の革命
【51】スピノザとフェティシズム
【52】現実政治か哲学か―プラトン
【53】古代人の宗教意識
【54】仕事・遊び・娯楽
【55】神話の2類型―ミュトスとロゴス
【56】ホッブズとハーヴェイ
【57】ラ・メトリとコンディヤック
【58】フッサールとハイデッガー
【59】ベルクソンとメルロ・ポンティ
【60】ただ肉体のみが豊かな力だ―カミュ
【61】フレイザーと津田・柳田・南方
【62】マリノフスキーとフレイザー
【63】文化史家ブルクハルトの歴史急変説
【64】徳富蘇峰の多民族融合日本人説
【65】野蛮と野生―レヴィ=ストロース
【66】ニュートンの色彩論
【67】ゲーテの色彩論
【68】ウィトゲンシュタインの色彩論
【69】小林秀雄の色彩論
【70】廣松渉「東アジアが歴史の主役に」
【71】橘孝三郎の共同体論
【72】一殺多生論と北・橘・権藤
【73】三木清の東亜協同体論
【74】高坂正顕の「民族の哲学」
【75】矢内原忠雄の近代主義
【76】アニミズムとフェティシズム
【77】近代の超克座談会1942年
【78】橘樸「アジア日本の道」
【79】デューイ「経験としての芸術」
【80】石堂清倫「わが異端の昭和史」
【81】権藤成卿「自治民範」
【82】北一輝「日本改造法案大綱」
【83】権藤成卿「君民共治論」
【84】権藤成卿「農村自救論」
【85】8分休符で始まるベートーヴェン第5交響曲
【86】松村武雄「日本神話の実相」
【87】吉田敦彦「日本神話の特色」
【88】三木清「哲学入門」
【89】唐木順三のフォイエルバッハ像
【90】神話論アラカルト

〔付録1〕諸文献摘要タイトル一覧II―2000年~2022年―
〔付録2〕ある社会哲学者の3年にわたるWith-CORONA
あとがき
初出一覧
索引


著者 石塚正英 いしづか・まさひで 東京電機大学名誉教授。NPO法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。著作『石塚正英著作選【社会思想史の窓】』全6巻『革命職人ヴァイトリング―コミューンからアソシエーションへ』『地域文化の沃土 頸城野往還』『マルクスの「フェティシズム・ノート」を読む―偉大なる、聖なる人間の発見』ほか多数

2023年3月2日刊
バロック的叛逆の社会思想 ニーチェ・フロイト・ブルクハルト批判
石塚正英/著
定価=本体3400円+税 ISBN978-4-7845-1896-8 A5判上製384頁

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石塚正英 <文明を支える原初性>シリーズ

投稿者: 社会評論社 サイト

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